多重人格ノート

多重人格(解離性同一性障害)に関する読書録

『記憶を書きかえる』2

10.記憶以前(4)

”夢遊”と”二重意識”
・・・・引き続き西洋社会におけるトランス。”多重人格”に先行する「症状言語」。


「症状言語」

アダム・クラプトリー『多重人』

「交代意識(≒多重人格)というパラダイムが現れるまでは、他人の意識が入り込むという内面的経験を表現する唯一のカテゴリーは、憑依、つまり外界からの侵入というものだけだった。人間の心に固有な第二意識の自覚が高まるにつれて、新しい症状言語が可能になった。」


イアン・ハッキング(著者)

「多重人格の先駆的な存在を表す、二つの症状言語があった。一つは、主にヨーロッパ大陸で使われた、自然発生的夢遊という言語で、人工夢遊と強く結びついた言語である。もう一つの症状言語は、主にイギリスとアメリカで使われた、二重意識という言語であり、主に、動物磁気および催眠術と区別されていた。」


「二重意識の症状言語が、記憶の問題をほとんど念頭においていないという点は、特に重要である。」
「この点を強調することで、私は、多重人格に熱狂的な人々が、あらゆる例を混同する傾向に歯止めをかけたいと思う。結局のところ、いろいろな事例というものは、まったく異なる社会的、医学的伝統の中で起きたことなのである。だから、それらは名称が異なるだけでなく、関連するさまざまな党派(観察者、記者、読者、社会階級、苦しんでいる人々自身)にとっての意味も異なるのである。」


”夢遊”

「深い眠りに落ちるが、あたかもはっきり覚醒しているかのように歩き、話し、書くなどさまざまな行動をとり、ときには普段より知的で的確な様子を示す」(ディドロ『百科全書』(1795?66))


「一八七五年以降、最も有名なフランスの多重人格者フェリーダの主治医となったウェザーム・アザムは、彼女の第二状態が『完全な夢遊』であると記述している。(中略)アザムは、この交代人格と夢遊現象を同一視した。」


「催眠状態は誘発された夢遊、もしくは人工的夢遊と呼ばれ、自然夢遊と対比された。」


”二重意識”

「『二重意識』という名称そのものが、含蓄に富んだ言葉である。」
「二重というからには数は二で、二を越える交代人格は予想されない」


「『意識』という受動的な言葉が使われたことの、影響力はもっと強い。作用と反作用を示唆するものも_ければ、完全な人格についての暗示もない。」
「初めて彼女(メアリー・レイノルズ。19世紀イギリスの代表的な多重人格者)のことを簡単に説明した文章には、『二重意識または同一人物の中にいる個人の二重性』という題がついていたのだが、この『個人の二重性』という表現は人気が出なかった」
(アト注”人格=個人”ではなく、”意識(機能)”の二重性だと認識された。)


「現在は、男性多重人格者と多重人格の子供への調査がようやく始まったところだが、古い時代には、これらは大した問題ではなく、男性が二重意識だと報告されるのは別に珍しいことではない。」
「一般に、若い女性は正常な状態なら、実行すれば必ず罰を受ける羽目になるような、反抗的な生き方を実演する為に、暗黙のうちに交代したと、マイケル・ケニーは主張している。二重意識の持つこのような側面は、女性に限られたことではない。」


「これらの文章の著者は、忘却の言語をごく当たり前のように使っている。しかし、彼らには、これが重要であるという認識はなく、(中略)二重意識の症状言語においては、記憶はほとんど問題にはならない。」
「これには、はっきりした証拠がある。引用文の著者を含め、医師たちは、患者の女性が正常な状態のときに何が起きたかを思い出せないといっている。しかし、その女性が異常な状態の時に、正常な状態のことについて知っているかどうかを、彼らは調べていない。」

10.記憶以前(3)

・・・・引き続き西洋社会とトランス。「個人」と「責任」。(と記憶)


ジョン・ロックの「法的個人」と”睡眠者”(スリーパー)

「ロックは、実際には二つのアイデンティティの概念があるため、区別をつけなければならないと考えた。ロックは、自らが法の概念と呼ぶ、記憶と責任に関係するもの「個人(パーソン)」という言葉を選んだ。彼は、ある程度は肉体的連続性に基づく概念をあらわすのに「人(マン)」という単語を選んだ。」


「ロックが唱えた、個人についての法の概念が持つ霊的な力をたどると、我々は少なくとも中世最盛期の十二世紀末から十三世紀にまでさかのぼることになる。
フランスの歴史家アラン・ブーロ?は、「睡眠者(スリーパー)」がこの時期の重要な現象だったことを最近の論文で論じている。これは、ある種のトランス状態に陥った個人をさしているらしく、その後夢遊と呼ばれたものと似た現象である。」


”睡眠者”(スリーパー)

「睡眠者が重要なのは、数が多かったからではなく、それが知的、形而上学的、更には神学的問題に近いものを引き起こしたからである。」


「睡眠者の示す行動は、暴力的なものか、少なくとも禁じられた行動であることが多く、目覚めている時の生活で見せるものとは性格と様式の点で異なるものである。睡眠症状の後で意識を取り戻しても、その時にした行動のことについては、せいぜい混乱した意識があるくらいである。」
「しかし彼らの行動は、意図的行動にしか見えない。このため、当時の形而上学としては、魂が活動していたに違いないということになった。しかしどの魂が?」


「トマス・アキナスの神学の信奉者は、一つの肉体には一つの魂しか存在しないと強く主張する。スコラ哲学的な心理学では、魂は個人の『実体的形相』だった。」
「ブーローの情報によれば、たとえば睡眠者が、通常の状態と睡眠状態のそれぞれに対して一つずつ実体的形相を持つという(中略)少数の反トマス主義者も存在した。」


「これは、責任の問題にとっては重要だ。睡眠者は市民法においては考慮された形跡はないが、教会法では注目されていた
一三一三年の資料によると、もし睡眠者が人を殺しても、罪を犯したという理由で、(正常な状態のときに)その人が、聖職機能から除外されることはないと述べられている。少数派の敗北である。こうして睡眠者は社会的に疎外され、病的なものとされるようになった。」
(アト注)責任能力の免除=存在の実在性の否定。


「支配階級的な哲学によって社会から疎外されると、睡眠者という概念は、直ちに法体系の外に置かれることになった。ブーローは、第二の実体的形相を備えた睡眠者という概念が、魔女の流行の始まりとともに再び現れ、その流行を支える土台の一部として機能したと論じている。」

10.記憶以前(2)

西洋社会における”トランス”の諸相

・催眠(術)

「催眠術は、西洋文化が、トランスというグループの中に組み込もうとする現象の1つである。
催眠術をかけられた人は、トランス状態にあると言われる。」
「催眠術は、実験的調査が可能な、トランスの一形態のようである。」
「催眠術に特別にかかりやすい人というのもいるが、一般に、人に催眠術をかけるのは容易なことである。」


「一八九二年までには、ピエール・ジャネは過去の記憶を取り戻し、それを解決するという、一般的な催眠術療法を提案しつつあった。」
「当初、フロイトはシャルコーの足跡を追っていたが、その後催眠術を拒絶して、記憶に触れるための別の技術を開発した。精神分析は一貫してフロイトに忠実だったが、ラカンが支配的地位を占め、催眠術が最大のタブーだったころのフランスでは特にそうだった。」
「アメリカは、常に大衆運動が力を持ち、権威に対して冷淡な国であるが、(中略)しかし、心理学の研究を支援するために交付される研究費から、催眠術やトランス研究に当てられた金額は、驚くほど少ない。」


・日常とトランス

「西洋の先進工業国の社会では、余暇のための行動か、社会から疎外された行動以外には、トランスの存在する余地はない。」
「霊媒がいる。瞑想がある。祈りがあり、そして音楽が個人と集団の両方で使われ、他の文化の中で観察されたならば、トランスと呼ばれるかもしれない状態をつくり出している。」


「しかし、これらの行動が、製造業やサービス産業に入り込むことは許されない。」
「もしかしたら、昔の組み立てラインについていて解雇された労働者の中にはトランス状態になっていたものもいたかもしれない。(中略)これとは対照的に、ブリティッシュ・コロンビア沖合いのシャーロット初頭にすむハイダ族の織物職人たちは、同じ動作を繰り返す仕事の途中、定期的にトランス状態に入ったが、そうなったときに織り上げた布には、ある種神聖な性質が加わるため、トランスはむしろ珍重されていた。」


「現代のアメリカで、トランス状態が社会的に認められている場所は、家と職場を車で往復する通勤の場面である。」
「彼ら(環境運動家)はなぜ人々が車の相乗りや、公共交通機関を利用しないのかが理解できない。しかし、理由の一つは明らかだ。自分の好きな音楽やおしゃべりや自分で選べる番組によって、トランスに似た状態になることが非常によいものになり得るからだ。」


・ADD(注意欠陥障害)

「現代社会でトランスに似た状態の範囲をつかむためには、最近よく話題になる、子供のときに起こる注意欠陥障害(ADD)のことを考慮する必要がある。」
「《ニューヨーク・タイムズ・マガジン》の夏季キャンプ特集は、ADDの子供を専門に扱うキャンプの広告であふれている。皮肉屋は、問題を抱えた子供の存在自体は否定しないものの、かつては白昼夢を見ることを許されたり、寛容な娯楽によって取り扱われていた多くの子供が、今や冬にはセラピストのもとへ、そして夏にはキャンプへ送り込まれていると言う。」



トランスと多重人格と現代社会

「トランスは、多重人格に近い、潜在的な障害であると宣言されて来た。しかし、逆の説明も可能である。つまり、トランスに入る能力を使用もしくは濫用する方法こそ、多重人格だ、という説明である。」
「われわれは、トランスについてよく知らない上、トランスを病的なものにしたがる。」


「なぜわれわれは、トランスを社会から疎外するのか?」
「産業機構というものが決定的に重要になったからだけではない。昔はそれほど厳格なものではなかったにせよ、トランスに似た行動が除外されるようになったのは、産業化より早い時期のことである。」
「ただし、西欧とアメリカの社会は、おおむねメアリー・ダグラスが企業文化と呼んだものの実例となっている。それらを特徴づけているのは、個人の責任が極度に高いレベルにあるとともに、それに応じて個人の可能性も大きいという点である。」

10.記憶以前(1)

・・・・多重人格とトランス
・・・・多重人格(的な現象)が『記憶』の問題と分かち難く結び付けられる以前。(→タイトル)



”トランス”

「多重人格は西洋に独特なもの、つまり先進工業世界に特有のものであり、これらの地域に限って、しかもわずか過去数十年の間に限って診断されたものである。しかし、これはもっと普遍的なものが、地域的な現れ方をしただけなのかもしれない。その普遍的なものとは、トランスである。」


トランスという概念の性格

「ほぼすべての社会で、人々はトランス状態に入る」


「『トランス』というのは西洋の言葉で、人類学者に用いられるヨーロッパ的概念である。」


「トランスの『実体』が何か、または、トランスとして分類されるような人間の普遍的行動または状態が、実際にあるかどうかということは、まったく未解決のままの問題なのである。」


「一方、それは人間だけではなく、哺乳類全体の特徴なのかもしれない。」
「たぶん、トランスは進化の段階を降下するのかもしれない。」


「私は『トランス』とは、西洋人の目から見たものかもしれないと主張したが、これはもう少し意味を限定して、英語圏の人の目から見たもの、とした方がいいのかもしれない。」
「今やフランスの人類学者は、英国系アメリカ人がトランスと呼ぶものを述べるのにこの単語(元は違う意味を持ったフランス語“transe“)を使っている。」


トランスと精神医学

「一九九二年のICD?10には、『トランスおよび憑依障害』が存在する。DSM??(中略)の(解離トランス障害の)定義はトランス全体ではなく、宗教(実際にはキリスト教)で実践される場合以外のトランスのみを対象とするものである....あたかも『宗教的』という言葉が、異文化にも通じる汚れのない概念でもあるかのようである。」


「われわれは文化的帝国主義というものが、キリスト教の伝道師たちの手から精神科医へ主導権は変わったとはいえ、まだ死滅したわけではないことを理解する。」
「西洋の解離障害をトランスの地域的で特殊な一形態と見なす代わりに、この2つの診断基準は、トランスの方を、西洋の病気である解離障害の亜種と見なしているのである。他の文明の根幹をなす意義深い部分であるトランスを、病理へと変えてしまうとは、ずいぶん乱暴な話だ。」


「解離障害をDSM??に入れることを推薦した委員会の議長デイヴィッド・スピーゲルは、西洋に多重人格があるように、世界のそれ以外のほとんどの場所にはトランスがあると主張して、トランスを加えることを正当化した。」
「だからといって、これは、解離障害というこれまでは非常に珍しくきわめて西洋的な精神病と、トランスを、同等の障害にする根拠にはならない。(中略)解離障害は(何よりも記憶という文脈で)概念化されたものである。これに対し、トランスの概念は、記憶とは本質的に何の関係もない。」


(アト注)
やや分かり難い組み立てになっていますが、要するに2段落目の
『西洋の解離障害をトランスの地域的で特殊な一形態と見なす』というのがむしろ著者が正当・公平と考える視点なわけです。

9.分裂病

・・・・多重人格(障害)と、分裂病(現・統合失調症)を筆頭とする他の主要な疾病カテゴリー及び理論との精神医学史的関係。


#アウトライン

(1)19世紀後半から20世紀初頭、フロイトらによる精神分析・精神医学の初期においてその中心課題であった”ヒステリー”の目立つ例として、二重/多重人格も大きな関心を集めた。

(2)しかしヒステリー自体がその地位を失うと共に、多重人格も重要視されなくなった(特にフランスにおいて)。その際多重人格を理論的に支える『解離』概念を先駆的に強調・提唱したジャネも、”躁鬱病”の特殊な例として多重人格を軽視するという転向(?)を行なっている。

(3)代わって主役の座に踊り出たのがブロイラーが命名した”分裂病”であるが、その病態としての「分裂」はいわゆる多重人格の「人格分裂」とは根本的に異なるものである。

(4)フロイト精神分析と多重人格は理論的に敵対関係にあり、アメリカにおいては色濃く政治的な理由で多重人格はいったん関心の外に追いやられた。

(5)その後『幼児虐待』というかつてのヒステリーに代わる立脚点を得て、再び多重人格は(アメリカにおいて)大きな注目を浴びることに成功したが、今なお状況は揺れ動いている。




多重人格とヒステリー

「特殊な種類の人格動揺が“交代的人格“であり、これは“二重意識”としても知られている。平凡な生活を送ってきて、急にヒステリーになった女性を取り上げてみよう。何らかの既知もしくは未知の理由から、彼女はヒステリー睡眠におちいり、目覚めると同時にそれまでの生活をすべて忘れる。」(ブロイラー)


「こうした(多重人格的な)ヒステリーの症例を深く究明する必要はない。われわれは、催眠術の暗示によって、まったく同じ現象を実験的に作り出すことができる」(ブロイラー)


「フロイトは『ヒステリー研究』の中で、別々の場所で六回以上この言葉(”第二状態”、多重人格の祖語の一つ)を使っている。」


「実際、フランスにおける多重人格の波は、一九一〇年までに完全に終息していた。これについては簡単に説明がつく。フランスの多重人格は、ヒステリーのしるしのもとに生まれた。多重人格者とはすべてヒステリー患者で、(中略)一八九五年から一九一〇年までの期間に、ヒステリーはフランスの精神医学の中心問題ではなくなった。」
「その結果は?多重人格が拠り所とすべき医学上の場所はなくなったのである。」


多重人格と分裂病

「一九二六年以降、『医学索引』に記載された分裂病の論文の数は、多重人格の論文よりはるかに多い。つまり、一九一四年と一九二六年の間に、逆転が起きて、分裂病が多重人格を圧倒したのだ。」


「ただし、彼(ブロイラー)はこの言葉(”分裂病”)に二重意識のプロトタイプの場合のような、交代的に個人を統制する複数の人格への分裂、という意味を持たせたわけではなかった。彼の意図は、『精神機能の“分裂”』を示すことだったのだ。」


「分裂病患者は、論理と現実に対する感覚が歪んでいるのに加えて、態度、感情、行動の調和が取れない。これに対し、多重人格者は、論理や現実の感覚については問題ないが、断片化していく。」
アト注:つまり分裂病はある人格の内部の精神諸機能の”分裂”。多重人格はある一つの身体の中に人格が複数あるという”分裂”。一つ一つの人格の精神機能自体は分裂していない。


多重人格と躁鬱病

「彼(ジャネ、後述)は、二重人格とは、ごくありふれた病気の特殊でまれな症例とされるべきだ、と考えたのである。つまり、抑鬱と躁と安定の時期を周期的に交代する患者、『初期のフランスの精神科医が循環病患者と呼んだ者」のことである。


多重人格と精神分析

「精神分析は、アメリカの医科大学の精神医学部門で、長年にわたり優位を占めることとなった。(中略)基本的な商売道具として、フロイトの抑圧はプリンス(アメリカの多重人格運動の草分け)の解離を圧倒した。」
アト注:『抑圧』と『解離』の理論上の問題は後の章で。


「フロイトに対する(多重人格側の)恐怖と嫌悪を理解するのは容易だ。幼児虐待運動のフェミニスト派は、フロイトを軽蔑している。ちなみに、この派は、多重人格には好意的である。いわゆる誘惑理論をフロイトが放棄したことに、ジェフリー・マスンが痛撃を加えたため、性的幼児虐待に関心を持つ者にとって、フロイトは悪玉となった。」アト注:”誘惑理論”と精神分析(と多重人格)
簡単に言うと、フロイトの初期の女性患者による「父親や叔父に誘惑された(性的虐待を受けた)」という訴えを空想である、無意識の現れであると断じることによって精神分析理論は成立した。逆にその種の訴えを基本的に事実と認め、社会問題化することによって今日の多重人格のアメリカにおける隆盛はある。


「次に浮かび上がるのは、負い目から来る罪悪感だ。多重人格の病因学は、初期の(精神分析確立以前の)フロイトの発想に著しく類似しているからだ。記憶からくる苦痛、トラウマの影響。このことを、誰もがフロイトから学んでいる。」


「しかし、時代は変わりつつある。取り戻された記憶への批判が高まるにつれ、臨床家たちは(精神分析確立以後の)フロイトへ回帰している。」
「一九九五年二月には<トラウマ、喪失、解離に関する第一回年次総会。主催・二十一世紀トラウマ学財団>と題する、活気あふれる学会が開かれることになっている。(中略)この学会の主催者の目的の一つは、トラウマの治療を多重人格のモデルから外すことである。」

8.記憶の真実(2)

<虚偽記憶症候群財団>

誕生

「ガナウェイの意見は正しかった。セラピーで取り戻した記憶から多くの奇怪な出来事が出てくる(そして多くの信じられないような理論がそこへ入り込む)につれて、取り戻された記憶への疑惑が高まった。」
「多くのセラピストたちは、クライエントが幼少時に家族から受けた虐待を思い出すようになった後、それと立ち向かうことを勧めていた。(中略)告発された親たちの多くは、眼前の事態が信じられなかった。そうした親たちは、申し立てられた記憶は、セラピーの過程でつくられていった誤りにすぎず、エイリアンによる誘拐と同様に不審なものだと言った。」


「そこで、数ヶ月にわたる熱心な活動の後、一九九二年三月に<虚偽記憶症候群財団>がフィラデルフィアで設立された。」


多重人格運動との対決

「<虚偽記憶症候群財団>は、しばらくは多重人格について、論評を控えていたが、組織設立後数ヶ月もたたないうちに、多重人格運動の側では恐れを抱くようになった。」
「すべてを背後で操る<大金持ちの、大きな(そして罪深い)男>のうわさが持ち上がった。その<男>のことが明るみに出れば、財団は崩壊するだろう、と。」
「その後数ヶ月の内に、応急処置的な取り組みが行なわれたのは、主に訴訟への恐怖があったためだった。」


「虚偽記憶症候群財団は、<虚偽記憶症候群財団専門諮問委員会>を設置した。この委員会には多重人格に懐疑的な人々が直ちに集まった」
「財団の第一回年次大会は、一九九三年四月(中略)開かれた。招待された講師たちは、手厳しい批判を加えながら多重人格のことに言及した。」


「この(↑)発言を受けて、ISSMP&Dの元会長フィリップ・クーンズは、《虚偽記憶症候群財団通信》に丁重な文面の書簡を送り、それ以外の点では真摯に行なわれた学会において、このような発言がなされたことは遺憾だと述べた。」
「しかし、この手紙が財団の会報に載ったことと、パットナムが噂についての情報を求めたこと(割愛)を除けば、一年以上もの間、財団の会報が多重人格について触れることはまったくなかった。」
「しかしその後、激しい非難が起こった....偽りを鋭く指摘しながら。」


科学的・理論的観点

フランク・パットナム(多重人格運動の代表的な精神科医)

「十年近くに及ぶセンセーショナルな申し立てにもかかわらず、こうした(”悪魔的儀式虐待”の遍在という)主張を裏付けるような独立した証拠は、何一つ見つかっていない。」(1992)


英国の調査(1944)

「委員会は、悪魔的虐待の存在が強く主張されたものの、とにかく何の証拠も見つからなかった八十四件の事例を調査した。しかし、委員会の結論は、子供が受けた虐待は、もっとありきたりのやり方で行なわれていた場合がほとんどであるというものだった。」


折衷的な見解

「多重人格運動に加わっていたメンバーのうち、もっと多くの慎重な人々は、セラピーで引き出された奇怪な記憶は、厳密な意味で真実なのではなく、患者が、自分を虐待したのは家族に他ならないという無慈悲な現実から自分を守ろうとする手段だ、と述べた。つまり、虐待は本当だが、空想に覆い隠されているというのだ。」

8.記憶の真実(1)

・・・・いわゆる「虐待の記憶」、及びそれに主な根拠を置く「多重人格」(障害)という現象の信用性を脅かす諸問題。

”悪魔的儀式虐待”(SRA=Satanic Ritual Abuse)の告発/問題

端緒

「一九八二年、儀式と悪魔に関する性的幼児虐待の問題が勃発すると、異常な告発が各地に広がり始めた。」
「多重人格を治療する開業医たちのもとに、悪魔的なカルト教団による虐待を主張する被害者たちが押し寄せると、医師たちは自分の耳を疑った。」


「そこ(学会の未刊行の口頭発表)には、カルト教団が密かに創造した交代人格についての話が、かなりあった。そうした人格はセラピーの妨害をするようプログラムされている。また、患者を薬品で治療するときには、正しい交代人格がそれを服用することを確認しなければならない。カルト教団が誘導した交代人格が、薬を飲ませないよう盗んでしまうからである。」


「一九八九年、彼(ジョージ・ガナウェイ:後掲)のクリニックの患者の半数近くと、北米在住の非常に多くの患者が『人肉嗜食の宴や、少女時代に、儀式の生き贄用の赤ん坊を生む母体として何度も使われたというような、長期間にわたる経験の詳しい記憶を、なまなましく報告した』と、彼は書いている。」


展開・影響

「多重人格は、幼児虐待についての意識を高める運動の風土で栄え、その運動が主張する病因学によって正統化されてきた。悪意に満ちた虐待が存在するとの主張が次第に信用されていくにつれて、多重人格運動はその正当性を認められた気分になった。」


「幼児虐待運動の中に儀式虐待という分派が発生するにつれて、患者たちは次第にカルト教団の恐るべき物語を思い出すようになったのだ。セラピストたちが本能的にその話を信じようとしたのは、衝撃的な事実の暴露を信じることが、過去においては正しい戦略だったからである。しかし語(話?)はどんどん荒唐無稽なものになっていった。」


アト注:歴史のある時点までは『幼児虐待』という概念そのものがSRA同様到底信じ難い話であり、しかしそれを事実として受け入れるという決断をアメリカ社会・医学界はやり遂げたばかりであった。

「運動は二極化し、分裂の脅威にさらされた。おおむね大衆主義的な側にいる一方の側が、『われわれは子供を信じるように命令した!だから、交代人格を信じなければならない!』と叫ぶと、他方が、『やめろ....この話は空想だ!』と反撃する。」
「多重人格運動の分裂は、その人の地位の差におおむね一致した。懐疑派に精神科医が多かったのに対して、圧倒的多数を占め、とかく声を大にして主張しがちな一般人は、信じる側に属していた。」


「この議論の表層には、宗教上の違いが存在することが多かった。信じる側は、自らを保守的キリスト教徒、つまりファンダメンタリストのプロテスタントと称する傾向にあり、一方、懐疑的な側は世俗的な態度を取る傾向にあった。」


「ISSMP&Dは、クラフトを長とする特別調査委員会を編成して、カルト虐待を信じる者たちとカルト虐待に懐疑的な者たちとの間の調停を目指した。クラフトは、調停は不可能だと判断したのかもしれない。とにかく、彼は作業部会の会合を招集もせずに辞任した。」


「ガナウェイは、これとほぼ同様の発言をしている。彼は悪魔的虐待の記憶を無批判に受け入れることは、多重人格の信用性を危うくするのみならず、“幼児虐待の研究一般を危機にさらす“、と考えている。」


以下、<虚偽記憶症候群財団>の項につづく。

7.測定

前回に続いて割りと業界内部の話で、ちょっと地味ですね。

かなり批判的な論旨ですが、注意してもらいたいのは筆者(イアン・ハッキング)は決して多重人格という現象の実在を疑っているわけでも、多重人格障害や多くの場合その重要な原因とされる幼児虐待の苦痛や重大性を軽く見ているわけではないということ。
逆にだからこそ誤解や疑念を抱かれるような粗雑なやり方はまずいという親心と、そして勿論科学者・哲学者としての本分から来る関心でこういうことを書いているわけです。

次回からまたもう少し一般的関心に近いだろう内容になる予定。


・・・・多重人格の”原因”(前章)同様、この現象の客観化の手段であるはずの測定行為についても、多重人格の専門医たちのやり方は循環的で自己完結的である。前提が結論に、背景となる枠組自体がその検証に含まれてしまっている。
併せて「科学的知識」の対象としての多重人格は、未だに十分に確立されているとは言えない状態にある。

連続体仮説

多重人格は個別の突発的な障害ではなく、全ての人にそれぞれの強弱で見出し得る「解離傾向」(解離しやすさの度合い)が、解離を誘発するような刺激(幼児虐待など)によって極端に強められた形で表現されてしまったものであるという考え方。


「多くの文献が、この能力(解離能力)の段階の程度は生来のもの、遺伝的なものということを示唆している。
この示唆には二つの重要な要素が含まれている。第一に、解離には程度の差がある、つまり、解離傾向がもっとも強い者を一方の端に、解離傾向がもっとも弱いものを他端というように、すべての人に順番をつけて直線状に並べることが出来る線形的なものである。」(
6.原因の章より)


「パットナムは著書の中で、『解離の適応機能(注)という概念の中核をなすのは、解離現象が連続体上に存在するという観念である』と、書いている。」
(注)”生来的に解離傾向の強い子供が、トラウマへの対処の装置として解離を利用する”という現象、考え。


(根拠)パットナムによる


1.催眠術へのかかりやすさが連続体として認識可能なのはよく知られたことである。そして催眠術へのかかりやすさと多重人格へのなりやすさとの間には、経験的に強い相関が想定されている。従って多重人格へのなりやすさ=解離傾向も催眠術へのかかりやすさと同様に連続体を形成していると仮定出来る。
2.<解離経験尺度>(DES)についての研究結果。


1.については催眠術の専門家から、過度の一般化だとの強い批判がある。
2.については次に。


解離経験尺度(DES)


バーンスタインとパットナムが一九八六年に発表した、解離傾向を測定する為の自己回答型のテスト。
今日まで広く使われている。


特徴
・それぞれの質問に対して自分がどれだけ当てはまるか、%で答える方式。
・あからさまに「病的な」状態だけでなく、いわゆる白昼夢や放心・熱中状態など健常者にも普通に現れる状態についての質問も含めて構成されている。


DESによる”研究”結果
・解離傾向が連続的であることが分かった。
・このテストで病的とみなされる「30点」以上を示す回答の多さから推測すると、北米での多重人格の発生率は2%以上、大学生に限定すれば5%かそれ以上と考えられる。


批判
・質問の意図が見え透いていて、回答者が見せたいように自分を見せることが出来る。
・質問項目の設定自体が、解離傾向の連続性を導き出すように作られている。(例えばより厳格に病的な項目だけで構成すれば、直ぐにも治療の必要があるようなレベルの人しかマークせずに結果は非連続になるだろう。)
・DESの結果から推測された多重人格の発生率は、実際の精神科医たちの経験からすると余りに非現実的に高率である。
・各種の中立的な研究結果には、DESの得点と被験者の実際にかかっている疾病に含まれている「解離」の要素との間には相関が見られないという結果が多数ある。
・統計学的にあらゆる観点から見て検証が不十分である。(詳細省く)

6.原因

・・・・多重人格障害(解離性同一性障害)の”原因”が、幼児・児童期に受けた虐待経験によるトラウマ及びそれに対する反応であるという定説、精神医学者たちの確信に対する留保。それらは必ずしも嘘ではないが原因論としては自己完結的である。結論や理論の枠組が先行して、あるべき”原因”を見出している。


『子供の多重人格者』という問題

「多重人格の診断の特質に関する一九八四年の古典的な論文で、彼(フィリップ・クーンズ)は『多重人格が芽ばえるのは幼児期のことであり、肉体的・性的虐待と関係があることが多い。』と書いている。この時点では、子供の多重人格者は見つかっていなかった....ただの一人も。
しかし、捜索は続いた。(中略)理論が観察に先行したのだ。」

(実例)

1.9才の女児”ジェイン”
症状・問題行動
・粗野で攻撃的な振る舞い。
・食物(そのものに対する)アレルギーで、餓死寸前。
・孤独、引きこもり。

特徴・環境
・治療のため家から連れ出されると上記症状は消える。
・実の父は家庭を捨て、継父を迎えた現在の家庭でも相当の放置と残虐行為が存在。
セラピストの対処
・やがてジェインは悪事を働く『悪い姉』について語り始め、また自らそう名乗る別の声も出現する。
・別の人格を発達させた少女についての物語を読んで聞かせてやる。
・次のセッションでジェインはセラピストの話を正しいと言い、問題を起こしていたのは彼女の別人格である『悪い姉』なのだと認識する。
・じきに問題行動が消える。
※ 別人格の分離と具現化を助長することによる治療。

2.12才の女児“サリー・ブラウン“
症状・問題行動
・極端に粗野で攻撃的な振る舞い。
・統制不能な人格の交代その他の解離行動。

特徴・環境
・現在はブラウン家の養女であり、治療を受けさせているのも養父母。
・実の両親、及び実母の愛人たちから肉体的・性的虐待を受けていた。
セラピスト(ドノヴァンとマッキンタイア)の対処
・サリーが生活史的質問に対して「知らない」と答えると(つまりいわゆる解離性の健忘・意識喪失の徴候を示すと)、そのたび「まさか!」と答えてそれを無視した。その結果サリーはほとんどの質問に答えられるようになった。
・養母と共同して、サリーに投げかけられる言葉の全てから(複雑な生い立ちがもたらす矛盾が表面化するような)多義的な要素を極力配して、サリー自身にもはっきりした言葉ではっきりと答えることを習慣づけさせた。
・間も無くサリーは解離出来なくなった。
※ 解離をいっさい助長しないことによる治療、障害の抑制。

(ドノバンとマッキンタイアの主張)
・子供と大人は違う。
・通常の、大人に対してなされるような、解離を認める可能性を内包した診断過程自体が子供の解離を強く促進する。
・子供が持っている大人とは比べ物にならない可塑性・成長力・学習能力の高さに留意し、また期待し依存することによって、(”交代人格”という形での)解離状態のある程度の固定を前提とした大人に対するものとは違うアプローチがあり得るし、またなされるべきである。

サリー・ブラウンの例が意味するもの。

可能性1 子供の多重人格は大人の多重人格と同一の障害の、その萌芽的な状態である。

「一つは、子供の多重人格の治療は、非常に簡単である。それが潜行してしまったとき、成人期に病理的なものになる。(中略)という考えだ。」

可能性2 子供の多重人格はそれ自体独立した障害である。
「何人かの子供で観察された多重人格を引き合いに出しただけで、その障害が、大人を悩ませているのと全く同じ病気の縮小版だと結論付けるわけにはいかない。」
「子供の多重人格とは、それ自体独立した障害なのであり、幼少時のトラウマが大人の多重人格を引き起こすという説への証拠にはならない、ということになる。」(注意)
・子供の多重人格の”捜索”自体が、上記「定説」の証拠を求める傾向を強く持ったセラピストたちに主に担われていた。
・そしてそこから当初大人と同質のアプローチによる治療が行なわれたが、ドノバンとマッキンタイアのような人たちがそれに異議を唱え、また『大人の縮小版』という子供の症状イメージの見直しも続いて行われた為、「定説」の証拠としての子供の多重人格の意義付けが怪しくなっているというそういう話。
・ちょっと分かり難いと思うので、次回7.測定編で補完します。
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