多重人格ノート

多重人格(解離性同一性障害)に関する読書録

『他の誰かになりたかった』

まとめ

藤家さんにおける(高機能)自閉症と多重(二重)人格の関係は明確には分からない。

間接的には勿論大いに関係があって、つまり自閉症による適応の極度の困難としかし「高機能」であるゆえに自分も周囲も障害には気が付かず、普通人並か時にはそれ以上の要求水準を突き付けられる中でついには耐えられずただただそうした要求を現実的に処理することに長けた「古都子」という人格が誕生して人生を引き受け、元々の自分はほとんど奥へ引っ込んだ状態になってしまったわけだ。 

しかしそうした本格的な別人格誕生以前に彼女が示していた様々な自閉症者特有の”物真似”行動/能力と、「古都子」の創造との間に何かメカニズム的な関連があるのか、あるいは”多重”流行りの現代の症例としてはむしろ珍しいとさえ思える「私」と「古都子」との関係の分かり易さは、ドナやベティーナが似通った最低限必要な「仮面の人物」で問題を処理していたことと共通した何らか自閉症者ならではの理由によるものなのかなどは、例え推論にしても現時点ではほとんど僕に言えることはない。


とりあえず導き出せるのはドナ・ウィリアムスの時と同様に、(広義の)多重人格という現象が特定の症候群にのみ見られる現象ではなく、極端な適応の困難の解決や耐え難いストレスからの防衛という目的のもとに、案外ありきたりに選択される戦略であるかもしれない可能性であろう。

回復

信頼出来る精神科医に出会い、それまでひた隠しにしていた古都子の存在を周囲にも明らかにした藤家さん(と古都子)は、問題と正面から取り組み、徐々に回復に向かいます。 
その間、たまに私と古都子は頭の中で、頻繁に話し合いをした。信じられないかもしれないけど、私たちは円卓で向き会って、会議を開いたの。(中略)ポイントはお互いにとっていい結果。個々に独立したい思いがなかったことも、人格統合に近かった理由かもしれないわ。

こうして二十二歳のある日、私は突然我にかえりました。それは十何年ぶりの本来の「私」に戻った瞬間でした。ひどく妙な感覚でいっぱいだったのを覚えています。確かに生きてきたはずなのに、昨日まで何をしていたのか思い出せず、気がついたら二十二歳になっていたのです。
中学生になる少し以前から私の記憶はおぼろげになり、大学での生活を辛うじて覚えていることが出来た他は、私の中から失われてしまいました。

今の生活は私にとって二度目の人生だと思うわ。これを書いている時点で、私が「私」として生活を始めてから、まだ一年足らず。(中略)記憶がなくなったせいで一から知り合い直した人もいるわ。

別人格「古都子」の誕生

藤家寛子さんはこうしたドナ・ウィリアムスが「仮面の人物」と呼ぶようなタイプの表層的な人格とは別に、もっとあからさまな別人格も出現させています。 
空想と現実の狭間での生活に堪えられなくなった私は、空想の世界の方に逃れることにしたのです。

”彼女”の存在を初めて感じたのは、自分本来の性質を閉じ込め始めた頃です。”彼女”の性格が完全に出来あがったのは、小学校四年生でした。

そういう時、私は古都子になったの。ここでは古くさい名前だけど、性格は全くリベラルで、とても女の子とは思えない考え方をする子だったわ。彼女は何でも現実的で、理想なんて始めから抱かないの。どんな時も、最悪を予期しながらベストを尽くす。しかも頑固で、やりての営業マンみたいだったわ。
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もう一人の私で生活することは、正直なところ本当に楽なことでした。(中略)勇敢で完璧主義者のために周りとの衝突が絶えませんでしたが、”彼女”は決して私を支配していたわけではありませんでした。むしろ私を守っていてくれたといえるでしょう。

しかし、自分で作り上げた人格とはいえ、私と”彼女”は全くの別人です。私という殻の中で度々双方の意見は対立しました。(中略)もしもお互いが個々の人間ならば、一生会いたくないと思うほど性格は違いました。

そして、いつの日からか、メインが逆転したの。中学生になった頃だと思う。とてもよく頑張っているはずのところをあまりよく覚えていないから。「私」が覚えているのは、古都子が頑張ってくれたおかげで弱った体調だけ。だから、人生の思いでの大半が、トイレかうぐいす色の洗面器なの。
・・・・多重ではなくて二重人格ですね。本来、または表の自分の影になっている要素の人格化。

自閉症者の”物真似”的人格

著者の藤家寛子さんはドナ・ウイリアムス同様のアスペルガー症候群/高機能自閉症の障害を持ち、ドナ・ウィリアムスが説明していたようなある種の物真似能力による自閉症者特有の”人格”形成を経験している。
小学校の一年生までの私は、完璧に(アニメで見た”小公女”)「セーラ」でした。

私は自分の本質を「セーラ」という役回りで包みながら、必死に「誰か他の人」になる努力を続けてきました。

私がなろうとしていた「誰か」は、少しも現実味を帯びない、紙の上の存在。それゆえに誰とも噛み合うことが出来なかったのでしょう。
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周囲に受け入れてもらえないとなると、私は再び別の「誰か」を探す必要がありました。(中略)私は彼女(セーラ)の性質を基礎にした、「人間らしい他の誰か」を目指すことにし、今度は「生きている人間」から、特徴を拝借することにしたのです。(略)
私は手始めに、いつも一緒にいる友達の真似をすることにしました。仕草や笑い方などから始めたと思います。(中略)理解できない話題の時も、みんなが笑っていれば、私も笑うようにしました。

目で見えるものを真似して自分のものにすることは、とても簡単でした。しかし、目で見えることの出来ない人間の「気持ち」を真似することは、いかに芸達者な私の性質をもってしても困難なものでした。想像することは出来ても、私には実感が追いついてきませんでしたので、どうしても少しズレたものになってしまうのです。
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