・・・・多重人格障害(解離性同一性障害)の”原因”が、幼児・児童期に受けた虐待経験によるトラウマ及びそれに対する反応であるという定説、精神医学者たちの確信に対する留保。それらは必ずしも嘘ではないが原因論としては自己完結的である。結論や理論の枠組が先行して、あるべき”原因”を見出している。
『子供の多重人格者』という問題
「多重人格の診断の特質に関する一九八四年の古典的な論文で、彼(フィリップ・クーンズ)は『多重人格が芽ばえるのは幼児期のことであり、肉体的・性的虐待と関係があることが多い。』と書いている。この時点では、子供の多重人格者は見つかっていなかった....ただの一人も。
しかし、捜索は続いた。(中略)理論が観察に先行したのだ。」
(実例)
1.9才の女児”ジェイン”
症状・問題行動・粗野で攻撃的な振る舞い。・食物(そのものに対する)アレルギーで、餓死寸前。・孤独、引きこもり。特徴・環境・治療のため家から連れ出されると上記症状は消える。・実の父は家庭を捨て、継父を迎えた現在の家庭でも相当の放置と残虐行為が存在。
セラピストの対処・やがてジェインは悪事を働く『悪い姉』について語り始め、また自らそう名乗る別の声も出現する。・別の人格を発達させた少女についての物語を読んで聞かせてやる。・次のセッションでジェインはセラピストの話を正しいと言い、問題を起こしていたのは彼女の別人格である『悪い姉』なのだと認識する。・じきに問題行動が消える。※ 別人格の分離と具現化を助長することによる治療。
2.12才の女児“サリー・ブラウン“
症状・問題行動・極端に粗野で攻撃的な振る舞い。・統制不能な人格の交代その他の解離行動。特徴・環境・現在はブラウン家の養女であり、治療を受けさせているのも養父母。・実の両親、及び実母の愛人たちから肉体的・性的虐待を受けていた。
セラピスト(ドノヴァンとマッキンタイア)の対処・サリーが生活史的質問に対して「知らない」と答えると(つまりいわゆる解離性の健忘・意識喪失の徴候を示すと)、そのたび「まさか!」と答えてそれを無視した。その結果サリーはほとんどの質問に答えられるようになった。・養母と共同して、サリーに投げかけられる言葉の全てから(複雑な生い立ちがもたらす矛盾が表面化するような)多義的な要素を極力配して、サリー自身にもはっきりした言葉ではっきりと答えることを習慣づけさせた。・間も無くサリーは解離出来なくなった。※ 解離をいっさい助長しないことによる治療、障害の抑制。(ドノバンとマッキンタイアの主張)・子供と大人は違う。・通常の、大人に対してなされるような、解離を認める可能性を内包した診断過程自体が子供の解離を強く促進する。・子供が持っている大人とは比べ物にならない可塑性・成長力・学習能力の高さに留意し、また期待し依存することによって、(”交代人格”という形での)解離状態のある程度の固定を前提とした大人に対するものとは違うアプローチがあり得るし、またなされるべきである。
サリー・ブラウンの例が意味するもの。
可能性1 子供の多重人格は大人の多重人格と同一の障害の、その萌芽的な状態である。
「一つは、子供の多重人格の治療は、非常に簡単である。それが潜行してしまったとき、成人期に病理的なものになる。(中略)という考えだ。」
可能性2 子供の多重人格はそれ自体独立した障害である。
「何人かの子供で観察された多重人格を引き合いに出しただけで、その障害が、大人を悩ませているのと全く同じ病気の縮小版だと結論付けるわけにはいかない。」「子供の多重人格とは、それ自体独立した障害なのであり、幼少時のトラウマが大人の多重人格を引き起こすという説への証拠にはならない、ということになる。」(注意)
・子供の多重人格の”捜索”自体が、上記「定説」の証拠を求める傾向を強く持ったセラピストたちに主に担われていた。
・そしてそこから当初大人と同質のアプローチによる治療が行なわれたが、ドノバンとマッキンタイアのような人たちがそれに異議を唱え、また『大人の縮小版』という子供の症状イメージの見直しも続いて行われた為、「定説」の証拠としての子供の多重人格の意義付けが怪しくなっているというそういう話。
・ちょっと分かり難いと思うので、次回7.測定編で補完します。