藤家さんにおける(高機能)自閉症と多重(二重)人格の関係は明確には分からない。

間接的には勿論大いに関係があって、つまり自閉症による適応の極度の困難としかし「高機能」であるゆえに自分も周囲も障害には気が付かず、普通人並か時にはそれ以上の要求水準を突き付けられる中でついには耐えられずただただそうした要求を現実的に処理することに長けた「古都子」という人格が誕生して人生を引き受け、元々の自分はほとんど奥へ引っ込んだ状態になってしまったわけだ。 

しかしそうした本格的な別人格誕生以前に彼女が示していた様々な自閉症者特有の”物真似”行動/能力と、「古都子」の創造との間に何かメカニズム的な関連があるのか、あるいは”多重”流行りの現代の症例としてはむしろ珍しいとさえ思える「私」と「古都子」との関係の分かり易さは、ドナやベティーナが似通った最低限必要な「仮面の人物」で問題を処理していたことと共通した何らか自閉症者ならではの理由によるものなのかなどは、例え推論にしても現時点ではほとんど僕に言えることはない。


とりあえず導き出せるのはドナ・ウィリアムスの時と同様に、(広義の)多重人格という現象が特定の症候群にのみ見られる現象ではなく、極端な適応の困難の解決や耐え難いストレスからの防衛という目的のもとに、案外ありきたりに選択される戦略であるかもしれない可能性であろう。