役割 
”キャロル”と”ウィリー”というのは、わたしが創り出した仮面の人物(キャラクター)で、わたしは過去二十五年間の三分の二を、この二人のどちらかになりきることで生きてきた。

わたしはかつて、このふたつの仮面の裏側に、自分を葬り去っていた。(中略)それは、目には見えない強化ガラスの壁でおおわれた、「ガラス張りのわたしの世界」だった。(中略)そこからなら、まるでショーでも見るように、わたしは「世の中」を眺めることが出来たのだ。

”ウィリー”
”ウィリー”は生き字引のような人物で、事実の世界に住んでいて、ひたすら知識を蓄積し続けた。

彼はいつも確固たる決断を下した。そして非常に冷静で論理的な正義感と、平等の意識を、持つようになっていった。

”ウィリー”は信じられないほど強く、怖いものは何もなかった。(中略)また”ウィリー”は、痛みにも強かった。いや痛みを感じることがなかった。
・・・・多重人格者の「保護者人格」あるいは”ISH”との類似性。女性の多重人格者にはしばしば保護者的な男性人格が現れて、物理的社会的危険・プレッシャーからオリジナル人格を守る。


”キャロル”
”キャロル”は(中略)どんな人にも好かれるタイプの女の子だった。

”ウィリー”は「世の中」とあくまで闘ったが、”キャロル”は自分が「世の中」の側の人間だと考えていた。そして自分こそが、ドナの中の「自己」というものだと思ってもいた。

”キャロル”はどうしても、皆と同じように扱ってもらいたかったのだ。だから、人に受け入れられる役を、永遠に演じ続けなければならなかったのである。
・・・・同様にオリジナル人格が傷付いて引きこもった後に現れ、時に実際の生活の大部分を(多くは交代人格の自覚なく)ホスト人格として支配するタイプの人格との類似性。


誕生

”ウィリー”
”ウィリー”が初めて現れたのは、わたしが二歳の頃だった。わたしのベッドの下に、ふたつの緑色のぎょろぎょろ目玉がいたのだ。初めわたしは怖かったが、それよりももっと怖いものがあった。それは家の中で起きていたこと(以下延々と家庭内で体験した虐待の描写が続く)

そんな絶叫の中で、”ウィリー”は来てくれた。そしてわたしに逃げ場を作ってくれた。

”キャロル”
”キャロル”の方は、”ウィリー”の現れた一年半後にやって来た。

”キャロル”という人物(キャラクター)は、わたしが公園で一度だけ実際に会った小さな女の子が元になっている。わたしは、鏡に映る自分自身の姿の中に、その子の面影を求め続け、遂には鏡の自分の姿こそがその子だと思うようになった。

消失
それから長い年月が流れ、「世の中」に向かって初めて”わたし”が目覚めた時、(中略)もはや”ウィリー”も”キャロル”もいらなかった。本当に必要なのは”ドナ”だった。わたしは、長い間自分を支えてくれた仮面の二人に、別れを告げた。

(プールで溺れかけ、差し伸べられる多くの救助の手に自閉症特有の身体的接触への恐怖から、かえって深刻なパニックに陥る体験をした後)
”ウィリー”は、わたしを救いにも守りにも来てくれなかった。(中略)”キャロル”も現れなかった。現れて、わたしを元気づけたり笑わせたり、こんなのはただのジョークだというふりもしてくれなかった。(中略)わたしはわたしでしかなかった。

一時的復活

”ウィリー”
(低血糖で判断力が極端に低下して、治安の悪い地域に迷い込んだ時)
その時、これはまずいという危機感が、わたしの心を揺さぶった。だがその意味が、分からない。「歩け」わたしは自分に向かってただ静かにそう命令した。(中略)それが、速く、速く動けとわたしを促す。”ウィリー”が、ぎりぎりのところで戻って来たのだ。「ホテルに戻れ」”ウィリー”は、有無を言わさず鋭く告げた。

”キャロル”
(教育実習の重要な試験の直前に数少ない信頼していた友人から一方的な拒絶を突きつけられて)
わたしは逃げたかった。泣きたかった。病気になってしまいたかった。しかしその時あの”キャロル”が現れたのである。再び素晴らしい演技をするため、死からよみがえったのだ。”キャロル”は(中略)はつらつと授業を引き受けた。(中略)「聴衆」はその演技を楽しんだ。そうして授業は「大変良い」と評価された。