多重人格治療のプロセス全体(後日)から、特に統合前後のドラマについての記述。 

抜粋1
患者は自分で<統合>が近づいているのが分かる場合が多い。
成人の患者の場合、身体を支配しているのが<オリジナル人格>でない場合にはとくによくわかるようだ。
(解説)「オリジナル」人格と「ホスト」人格 ・・・・必須の基礎知識。

「オリジナル」というのは出産時か受胎時か受胎3ヶ月時か、とにかく遡れる限り最初期のアイデンティティを持っている人格。そういう意味では”本来の”自分。それに対して「ホスト」というのは起源はどうあれ現に外に出て身体を支配し、社会的な活動をしているつまり他人が(しばしば自分も)その人そのものだと認識している/する人格。アイデンティティではなく機能により定義される概念。

言ってみれば”元祖”と”本家”であるが、この2つは往々にして一致しない。なぜなら定説によれば典型的な多重人格(障害)は激しいストレス体験に「オリジナル」が耐えられない時、これに対処するために交代人格・別人格が形成されることにより生じるのであるから、「オリジナル」は嵐の過ぎた後戻ってまた「ホスト」として人生を継続することもあれば、傷付いてそのまま心の奥深く引きこもって交代人格がその後を引き継ぐ(引き継がざるを得ない)こともよくあることだからだ。この場合その人格は「ホスト」ではあるが「オリジナル」ではない。

なお通常統合治療はそれが長年ホストとして機能していたかいないかにかかわらず、オリジナルに他の人格を統合して恒久的にホスト化するという方向で行われる。


抜粋2 患者”ヨランダ”の統合前夜

(注:このヨランダはオリジナルの戸籍名そのままで長年ホストとして生きて来たが、オリジナルではない。) 
治療がすすみ<統合>が近づくと、彼女はそれを複雑な思いで待っていた。<統合>しなければ精神的に健全になれないことはわかっていた。しかし<統合>すれば、新しい誰かになってしまう。彼女は、それが自分の「死」を意味することにも気付いていた。

彼女は<統合>が近づいた時、自分の家にいた。そして部屋にテープレコーダーを持ち込み、座って話し始めた。

「わたしは変化しようとしています。わたしは同じ人間ではいられない。」

「時間が来たわ。悲しみはありません。悲しみではなく、恐れ・・・・、知らないものに対する恐れです。」

「だけどわたしは喜んでこれをやるわ。”一つ”になるために必要だというなら右腕を切り落としたっていい。」

ヨランダの声は疲れていた。話はとりとめもなくあちこちに飛んだ。非常に弱々しく、死の床にいる病人が話しているように聞こえた。あと数時間で「彼女」は思い出に過ぎなくなる。

「わたしはいろいろな意味で成長しました。わたしは六歳でも七歳でもない、八歳でも九歳でもない。わたしはその全部の齢です。」

ヨランダが「さよなら」を言うのを聞いて、テープが終わるのだなと思った。だが、しばらくしてまたヨランダの声が聞こえた。

「アリソン先生、行ってしまう前に言わなくてはならないことがたくさんあります。(中略)今でも先生に教え導いてほしいと願っています。わたしは学びたい。もう会えないかと思うと寂しい。でも、わたしはもうすぐ一つになる。一つになって先生と会える。」

ヨランダの<統合>は静かに起きたらしい。死と再生は穏やかに起こった。少なくとも心の中で激しい苦闘や叫びがあったとしても、隣人たちにはわからなかったようだ。


抜粋3 患者”カーラ”の統合
ヨランダの体験はわたしが出会った中では典型的なものではない。他の患者たちは激しい苦闘を経験しているものも多い。

彼女(カーラ)の<統合>は劇的でスリルに満ち、死ぬほどの苦しい戦いとなった。すべては彼女の頭の中で行われたのだが。以下の「苦闘」の描写は、その時点で観察したものと、「一人」になったカーラが後日に思い出してくれたものだ。

カーラは広い戦場を見た。<オリジナル人格>と暴力的な<悪の交代人格>が、全身を鎧で覆って対決し、生命を懸けた戦いをはじめようとしていた。二人とも相手の喉元を引き裂こうとしていたが、「アナ」と「ゾーイ」が二人を引き離している。

この患者は何年にも渡って三〇から五〇の交代人格を出現させてきた。その人格たちが監査役のようにずらっと並んで見ている。
・・・・これはむしろ「内部世界の視覚化」の華々しい例として目を引くものかも。明らかに想像力のありようによって具体的な形態にかなりの可塑性があるのが窺える。全交代人格の注視するアリーナ!何とドラマチックな。
この後二人は頭の中で生きるか死ぬかの激しい戦いを繰り広げ、現実でも自分の喉を締めようとしたり転げ回ったりと大騒ぎを演じ、Dr.アリソン以下見守る数人が致命的な負傷を防ぐためにそのたび物を片付けたり気を配った。勿論結果は<オリジナル人格>の勝利。