・・・・多重人格(障害)と、分裂病(現・統合失調症)を筆頭とする他の主要な疾病カテゴリー及び理論との精神医学史的関係。
#アウトライン
(1)19世紀後半から20世紀初頭、フロイトらによる精神分析・精神医学の初期においてその中心課題であった”ヒステリー”の目立つ例として、二重/多重人格も大きな関心を集めた。
(2)しかしヒステリー自体がその地位を失うと共に、多重人格も重要視されなくなった(特にフランスにおいて)。その際多重人格を理論的に支える『解離』概念を先駆的に強調・提唱したジャネも、”躁鬱病”の特殊な例として多重人格を軽視するという転向(?)を行なっている。
(3)代わって主役の座に踊り出たのがブロイラーが命名した”分裂病”であるが、その病態としての「分裂」はいわゆる多重人格の「人格分裂」とは根本的に異なるものである。
(4)フロイト精神分析と多重人格は理論的に敵対関係にあり、アメリカにおいては色濃く政治的な理由で多重人格はいったん関心の外に追いやられた。
(5)その後『幼児虐待』というかつてのヒステリーに代わる立脚点を得て、再び多重人格は(アメリカにおいて)大きな注目を浴びることに成功したが、今なお状況は揺れ動いている。
多重人格とヒステリー
「特殊な種類の人格動揺が“交代的人格“であり、これは“二重意識”としても知られている。平凡な生活を送ってきて、急にヒステリーになった女性を取り上げてみよう。何らかの既知もしくは未知の理由から、彼女はヒステリー睡眠におちいり、目覚めると同時にそれまでの生活をすべて忘れる。」(ブロイラー)
「こうした(多重人格的な)ヒステリーの症例を深く究明する必要はない。われわれは、催眠術の暗示によって、まったく同じ現象を実験的に作り出すことができる」(ブロイラー)
「フロイトは『ヒステリー研究』の中で、別々の場所で六回以上この言葉(”第二状態”、多重人格の祖語の一つ)を使っている。」
「実際、フランスにおける多重人格の波は、一九一〇年までに完全に終息していた。これについては簡単に説明がつく。フランスの多重人格は、ヒステリーのしるしのもとに生まれた。多重人格者とはすべてヒステリー患者で、(中略)一八九五年から一九一〇年までの期間に、ヒステリーはフランスの精神医学の中心問題ではなくなった。」
「その結果は?多重人格が拠り所とすべき医学上の場所はなくなったのである。」
多重人格と分裂病
「一九二六年以降、『医学索引』に記載された分裂病の論文の数は、多重人格の論文よりはるかに多い。つまり、一九一四年と一九二六年の間に、逆転が起きて、分裂病が多重人格を圧倒したのだ。」
「ただし、彼(ブロイラー)はこの言葉(”分裂病”)に二重意識のプロトタイプの場合のような、交代的に個人を統制する複数の人格への分裂、という意味を持たせたわけではなかった。彼の意図は、『精神機能の“分裂”』を示すことだったのだ。」
「分裂病患者は、論理と現実に対する感覚が歪んでいるのに加えて、態度、感情、行動の調和が取れない。これに対し、多重人格者は、論理や現実の感覚については問題ないが、断片化していく。」
アト注:つまり分裂病はある人格の内部の精神諸機能の”分裂”。多重人格はある一つの身体の中に人格が複数あるという”分裂”。一つ一つの人格の精神機能自体は分裂していない。
多重人格と躁鬱病
「彼(ジャネ、後述)は、二重人格とは、ごくありふれた病気の特殊でまれな症例とされるべきだ、と考えたのである。つまり、抑鬱と躁と安定の時期を周期的に交代する患者、『初期のフランスの精神科医が循環病患者と呼んだ者」のことである。
多重人格と精神分析
「精神分析は、アメリカの医科大学の精神医学部門で、長年にわたり優位を占めることとなった。(中略)基本的な商売道具として、フロイトの抑圧はプリンス(アメリカの多重人格運動の草分け)の解離を圧倒した。」
アト注:『抑圧』と『解離』の理論上の問題は後の章で。
「フロイトに対する(多重人格側の)恐怖と嫌悪を理解するのは容易だ。幼児虐待運動のフェミニスト派は、フロイトを軽蔑している。ちなみに、この派は、多重人格には好意的である。いわゆる誘惑理論をフロイトが放棄したことに、ジェフリー・マスンが痛撃を加えたため、性的幼児虐待に関心を持つ者にとって、フロイトは悪玉となった。」アト注:”誘惑理論”と精神分析(と多重人格)
簡単に言うと、フロイトの初期の女性患者による「父親や叔父に誘惑された(性的虐待を受けた)」という訴えを空想である、無意識の現れであると断じることによって精神分析理論は成立した。逆にその種の訴えを基本的に事実と認め、社会問題化することによって今日の多重人格のアメリカにおける隆盛はある。
「次に浮かび上がるのは、負い目から来る罪悪感だ。多重人格の病因学は、初期の(精神分析確立以前の)フロイトの発想に著しく類似しているからだ。記憶からくる苦痛、トラウマの影響。このことを、誰もがフロイトから学んでいる。」
「しかし、時代は変わりつつある。取り戻された記憶への批判が高まるにつれ、臨床家たちは(精神分析確立以後の)フロイトへ回帰している。」
「一九九五年二月には<トラウマ、喪失、解離に関する第一回年次総会。主催・二十一世紀トラウマ学財団>と題する、活気あふれる学会が開かれることになっている。(中略)この学会の主催者の目的の一つは、トラウマの治療を多重人格のモデルから外すことである。」