多重人格ノート

多重人格(解離性同一性障害)に関する読書録

7.測定

前回に続いて割りと業界内部の話で、ちょっと地味ですね。

かなり批判的な論旨ですが、注意してもらいたいのは筆者(イアン・ハッキング)は決して多重人格という現象の実在を疑っているわけでも、多重人格障害や多くの場合その重要な原因とされる幼児虐待の苦痛や重大性を軽く見ているわけではないということ。
逆にだからこそ誤解や疑念を抱かれるような粗雑なやり方はまずいという親心と、そして勿論科学者・哲学者としての本分から来る関心でこういうことを書いているわけです。

次回からまたもう少し一般的関心に近いだろう内容になる予定。


・・・・多重人格の”原因”(前章)同様、この現象の客観化の手段であるはずの測定行為についても、多重人格の専門医たちのやり方は循環的で自己完結的である。前提が結論に、背景となる枠組自体がその検証に含まれてしまっている。
併せて「科学的知識」の対象としての多重人格は、未だに十分に確立されているとは言えない状態にある。

連続体仮説

多重人格は個別の突発的な障害ではなく、全ての人にそれぞれの強弱で見出し得る「解離傾向」(解離しやすさの度合い)が、解離を誘発するような刺激(幼児虐待など)によって極端に強められた形で表現されてしまったものであるという考え方。


「多くの文献が、この能力(解離能力)の段階の程度は生来のもの、遺伝的なものということを示唆している。
この示唆には二つの重要な要素が含まれている。第一に、解離には程度の差がある、つまり、解離傾向がもっとも強い者を一方の端に、解離傾向がもっとも弱いものを他端というように、すべての人に順番をつけて直線状に並べることが出来る線形的なものである。」(
6.原因の章より)


「パットナムは著書の中で、『解離の適応機能(注)という概念の中核をなすのは、解離現象が連続体上に存在するという観念である』と、書いている。」
(注)”生来的に解離傾向の強い子供が、トラウマへの対処の装置として解離を利用する”という現象、考え。


(根拠)パットナムによる


1.催眠術へのかかりやすさが連続体として認識可能なのはよく知られたことである。そして催眠術へのかかりやすさと多重人格へのなりやすさとの間には、経験的に強い相関が想定されている。従って多重人格へのなりやすさ=解離傾向も催眠術へのかかりやすさと同様に連続体を形成していると仮定出来る。
2.<解離経験尺度>(DES)についての研究結果。


1.については催眠術の専門家から、過度の一般化だとの強い批判がある。
2.については次に。


解離経験尺度(DES)


バーンスタインとパットナムが一九八六年に発表した、解離傾向を測定する為の自己回答型のテスト。
今日まで広く使われている。


特徴
・それぞれの質問に対して自分がどれだけ当てはまるか、%で答える方式。
・あからさまに「病的な」状態だけでなく、いわゆる白昼夢や放心・熱中状態など健常者にも普通に現れる状態についての質問も含めて構成されている。


DESによる”研究”結果
・解離傾向が連続的であることが分かった。
・このテストで病的とみなされる「30点」以上を示す回答の多さから推測すると、北米での多重人格の発生率は2%以上、大学生に限定すれば5%かそれ以上と考えられる。


批判
・質問の意図が見え透いていて、回答者が見せたいように自分を見せることが出来る。
・質問項目の設定自体が、解離傾向の連続性を導き出すように作られている。(例えばより厳格に病的な項目だけで構成すれば、直ぐにも治療の必要があるようなレベルの人しかマークせずに結果は非連続になるだろう。)
・DESの結果から推測された多重人格の発生率は、実際の精神科医たちの経験からすると余りに非現実的に高率である。
・各種の中立的な研究結果には、DESの得点と被験者の実際にかかっている疾病に含まれている「解離」の要素との間には相関が見られないという結果が多数ある。
・統計学的にあらゆる観点から見て検証が不十分である。(詳細省く)

6.原因

・・・・多重人格障害(解離性同一性障害)の”原因”が、幼児・児童期に受けた虐待経験によるトラウマ及びそれに対する反応であるという定説、精神医学者たちの確信に対する留保。それらは必ずしも嘘ではないが原因論としては自己完結的である。結論や理論の枠組が先行して、あるべき”原因”を見出している。


『子供の多重人格者』という問題

「多重人格の診断の特質に関する一九八四年の古典的な論文で、彼(フィリップ・クーンズ)は『多重人格が芽ばえるのは幼児期のことであり、肉体的・性的虐待と関係があることが多い。』と書いている。この時点では、子供の多重人格者は見つかっていなかった....ただの一人も。
しかし、捜索は続いた。(中略)理論が観察に先行したのだ。」

(実例)

1.9才の女児”ジェイン”
症状・問題行動
・粗野で攻撃的な振る舞い。
・食物(そのものに対する)アレルギーで、餓死寸前。
・孤独、引きこもり。

特徴・環境
・治療のため家から連れ出されると上記症状は消える。
・実の父は家庭を捨て、継父を迎えた現在の家庭でも相当の放置と残虐行為が存在。
セラピストの対処
・やがてジェインは悪事を働く『悪い姉』について語り始め、また自らそう名乗る別の声も出現する。
・別の人格を発達させた少女についての物語を読んで聞かせてやる。
・次のセッションでジェインはセラピストの話を正しいと言い、問題を起こしていたのは彼女の別人格である『悪い姉』なのだと認識する。
・じきに問題行動が消える。
※ 別人格の分離と具現化を助長することによる治療。

2.12才の女児“サリー・ブラウン“
症状・問題行動
・極端に粗野で攻撃的な振る舞い。
・統制不能な人格の交代その他の解離行動。

特徴・環境
・現在はブラウン家の養女であり、治療を受けさせているのも養父母。
・実の両親、及び実母の愛人たちから肉体的・性的虐待を受けていた。
セラピスト(ドノヴァンとマッキンタイア)の対処
・サリーが生活史的質問に対して「知らない」と答えると(つまりいわゆる解離性の健忘・意識喪失の徴候を示すと)、そのたび「まさか!」と答えてそれを無視した。その結果サリーはほとんどの質問に答えられるようになった。
・養母と共同して、サリーに投げかけられる言葉の全てから(複雑な生い立ちがもたらす矛盾が表面化するような)多義的な要素を極力配して、サリー自身にもはっきりした言葉ではっきりと答えることを習慣づけさせた。
・間も無くサリーは解離出来なくなった。
※ 解離をいっさい助長しないことによる治療、障害の抑制。

(ドノバンとマッキンタイアの主張)
・子供と大人は違う。
・通常の、大人に対してなされるような、解離を認める可能性を内包した診断過程自体が子供の解離を強く促進する。
・子供が持っている大人とは比べ物にならない可塑性・成長力・学習能力の高さに留意し、また期待し依存することによって、(”交代人格”という形での)解離状態のある程度の固定を前提とした大人に対するものとは違うアプローチがあり得るし、またなされるべきである。

サリー・ブラウンの例が意味するもの。

可能性1 子供の多重人格は大人の多重人格と同一の障害の、その萌芽的な状態である。

「一つは、子供の多重人格の治療は、非常に簡単である。それが潜行してしまったとき、成人期に病理的なものになる。(中略)という考えだ。」

可能性2 子供の多重人格はそれ自体独立した障害である。
「何人かの子供で観察された多重人格を引き合いに出しただけで、その障害が、大人を悩ませているのと全く同じ病気の縮小版だと結論付けるわけにはいかない。」
「子供の多重人格とは、それ自体独立した障害なのであり、幼少時のトラウマが大人の多重人格を引き起こすという説への証拠にはならない、ということになる。」(注意)
・子供の多重人格の”捜索”自体が、上記「定説」の証拠を求める傾向を強く持ったセラピストたちに主に担われていた。
・そしてそこから当初大人と同質のアプローチによる治療が行なわれたが、ドノバンとマッキンタイアのような人たちがそれに異議を唱え、また『大人の縮小版』という子供の症状イメージの見直しも続いて行われた為、「定説」の証拠としての子供の多重人格の意義付けが怪しくなっているというそういう話。
・ちょっと分かり難いと思うので、次回7.測定編で補完します。

5.ジェンダー(つづき)

性的アンビヴァレンスと戦略
・・・・上の「第二の説明」の展開と延長。

*性的アンビヴァレンス
「これまで多くの報告がなされてきたように、ほぼすべての女性患者が、ホスト人格とみなされる人格よりも、はるかに活気に満ちた第二人格を持っている。その人格を説明するのに、『快活な』とか『茶目っ気のある』とか『みだらな』といった言葉や、さらに報告についての規制が緩むと『性関係が乱れた』という言葉が使われる。」

「『シビル』が出てからというもの、性転換を起こしたような交代人格があふれ出した。」
「一九八〇年ごろに交代人格の範囲が著しく様式化されると、多重人格者の中に、一人以上の迫害者の交代人格と、一人以上の保護者の交代人格が必ず見つかるようになった。女たちは、強く、たくましく、信頼できそうな男の保護者という交代人格を発達させた

「男の交代人格は、圧迫された女性が権力を手に入れるための手段になり得る。十九世紀であれば、快活だとか、茶目っ気があるとか、みだらだとされた交代人格が、二十世紀末においては、男になる可能性がある。
「マイケル・ケニーの『アンセル・ボーンの情熱』は十九世紀のアメリカ人の女性多重人格者たちが、プロテスタントの義務と服従という限界を逃れる目的で多重性を利用したことを論じている。」
「異性の役割を身につけることによって、人は社会から強制されたジェンダー、特に、強制された異性愛主義というものを打破するのかもしれない。」

*戦略(参照:マーゴ・リヴェイラの論)
「最初はセラピーを受ける多重人格者は病んでいた。つまり、意識的に異性の役割を選んだわけではない。」
「しかし、次第にこうした人々が、自分には自由に選択肢を選ぶ力が備わっていることを理解し、統合をめざすよりは、自分がなりたい人間になろうとすると仮定してみよう。」
「この場合、一度は病理的なジェンダーとされたものが、別の人間になるための意図的に選択された手段になる。」

「われわれは、女性患者が根底にある『真の』自己を発見すると考えるのではなく、彼女が自分のアイデンティティを選択し、創造し、構築する自由に向かって突き進んだのだ、と考えるべきである。決定論的なゲームの捨て駒になる代わりに、彼女は自立した人間になったのだ。」

5.ジェンダー

”多重人格障害と診断された患者の、十人中九人までが女性である”
・・・・という「通説」についての理由づけ。


第一の説明

「潜在的多重人格者の男性は暴力的で、医師よりは警察の世話になることが多い。
「(男性の場合)暴力行動は、例えそれが悪意に満ちた交代人格の仕業だとしても、社会的に許容される(”異常”だとはされない)度合いがあまりに強い。」

「女性の多重人格者の怒りは自分に向けられるため、一般的には他人に対する障害事件を起こすよりは、自傷行動を取るのが普通である。」


第二の説明

解離性の行動は、女が好む苦痛の言語なのである。それは逃避の手段にすらなる。」
「交代人格のいくつかは、女性が持ちたいと思ってはいるものの持つことを許されていない、言い換えれば、社会的に容認されていない人格の一面を表現している。(例:因習に囚われない活発な生き方や、同性愛または男性主導の異性愛の拒否。)

「一方、男性は別のやり方で苦痛を表現することを選んだ。酒と暴力である。」


第三の説明

「この種の虐待(幼児/性的虐待)では、少年よりも、圧倒的に少女の方が犠牲になりやすいと考えられる。」


第四の説明

「悩みを抱えた北米の女性は、例え社会の権力機構に拒否反応を示すような女性であっても、セラピーや臨床の場面になると、似たような苦しみを持つ男性の場合よりは、(多重人格と診断したがる)セラピストの期待に沿うように協力することが多い。」


フェミニズム・政治性
・・・・特に上の「第四の説明」に関連した、女性の多重人格者群に潜在する一種の敗北主義に対する批判。

*マーゴ・リヴェイラ(臨床心理学者、フェミニスト)

「彼女は、トラウマや女性に対する暴力を、基本的出発点として捉えているが、多重人格については、他の臨床家たち以上に、隠喩(≒方便。筆者注)的に受けとめているようである」

「彼女は虐待についての詳細な記憶を、疑問視する。彼女のセラピーは『トラウマ経験の歴史を戦略的に書き直す』ことによって、解離状態にならない対処の技術を身につけさせることを、一つの目標にしている。」


*ルース・リーズ(フェミニスト)

「(虐待経験そのものに女性患者の多さの原因を求める考え方は)『女を純粋に受動的な犠牲者とみなすような政治的に退化した固定的な考えを、援護する結果をもたらす視点』であり、『あらゆる行動面での可能性を持つ、女性という主体を、事実上否定するものだ』というのが、リーズの主張である。」

「彼女が言おうとしているのは、女性が多重人格者の多数を占めているのは、臨床家と患者の間に密かな協力関係が築かれることに原因があるのではないかということである。」「第四の説明」
「彼女が問題にしているのは、患者の味方になると称する理論の自己満足性なのである。そして、そのような理論や、実践や、その根底にある仮説が、受動的な犠牲者という患者の自己像を肥大させたのではないかと推定している。」

4.幼児虐待(つづき)

幼児虐待の科学性

(1)いわゆる“虐待の連鎖“について ・・・・「虐待をする親は自分も子供の時に親から虐待を受けている」
「後者(虐待の連鎖という概念)は事実上、臨床家と社会福祉事業に従事する人たちの大多数が信じる根本原理となり、一般人にとっても常識となった。」

「それにもかかわらず、幼児虐待が『受け継がれてゆく』という問題を扱った専門的な文献は少なかった。」

「そこで、証拠を要求する嫌疑論者に対抗して結集した肯定論者たちは、二つの理由から自らの立場を固めた。」
「第一に、その主張が正しく聞こえること、すなわち、この主張は、子供の時の経験が大人を形成するという二十世紀の信仰(次項参照)と適合するからである。」
「第二に、虐待を行なう親が、自分は子供のときに虐待を受けたと断言するだろうというのは、いまや既成事実となっている。つまり、そのように言えば虐待行動に説明がつき、したがって、その罪も軽くなるからである。」

(2)幼児虐待の発達への影響について
「性的な反応がねじれるだけでなく、あらゆる愛情の反応が歪んだ。虐待を受けたのは乳幼児の身体ではなく、人生そのものだった。これこそまさに多重人格を扱う臨床家たちが暴き始めたことだ。」

「幼児虐待の悪影響についての知識は、驚くほど貧弱な状態にある。」
「フィンクラーとその仲間は一九九三年に「一九八五年以来・・・・性的に虐待された子供に特に焦点を当てた研究は爆発的に増えた」との見解を示した。しかし、そうした研究の結果は満足のゆくものではない。『自尊心の動揺と子供の生来の素質や傷つきやすさの役割は、十分に確証されていない』からだ。」

「性的虐待の研究にせよ、肉体的虐待の研究にせよ、こうした研究はすべて社会的階級に無関心にことが多い。」
「虐待で生命を落とす子供が、貧者であることは明らかである。米国では小さな子供を抱えた貧しい家庭が利用できる公的基金は、一九八〇年代に毎年実質的に削減されてきたのだが、その一方で毎年毎年、ますます多くの幼児虐待の恐怖が語られつづけたのである。」
「一九九〇年、大統領の諮問委員会が、幼児虐待の問題は『国家の急務』であると発表した。(中略)しかし、この委員会は、汚物、危険、尿臭の漂うホール、壊れたエレベーター、割られたガラス、食物プログラムの短縮、銃器といった不愉快な話題のことは省略していた。」

「幼児期の虐待が成人期に機能障害を引き起こすという主張は、知識というより信仰に近い。(中略)統計的な関連が確認できるときでさえも、それは想像以上に地域的なもののように思えるのである。つまり、ニュージーランドにおける長期的研究によると、成人女性の精神医学上の問題と虐待の関連性は、貧困に比べると低いことが分かっている。」

新しい道徳・人間観
「幼児虐待と抑圧された幼児虐待の記憶は、大人へ成長するときに大きな影響を与えると考えられている。私が関心を持っているのは、そうした命題が正しいか誤っているかということよりも、そうした仮定に導かれて人々が自らの過去を新たに書き直すに至る過程なのである。」

「個人は自分の行動をそれぞれ違った風に説明し、自分自身についても違った風に感じる。過去を記述し直すとき、われわれは皆、新しい人間になる。」

4.幼児虐待

概念の発明

「幼児虐待の概念とは、それについて考えたり、その実例に注目したり、その経験を思い出しさえすれば、誰もが理解できるというような明確な概念ではない」

「新しい意識が目覚めなければ、それが、”幼児虐待として”経験されたり、思い出されたりすることはない。それには新しい記述が発明されなければならず、そこから古い行動を見る新しい方法が現れる」


『子供への残酷な行為』

「一八〇〇年以降の工業化に移行しつつあった社会に話を限定すれば、子供に対して行なわれた恐ろしい行為についての証拠をいくらでも挙げることができる」

「この言葉(『幼児虐待』)(一九六〇年代に)一般化する以前は、『子供への残酷な行為』という言い方が普通だった。」


『子供への残酷な行為』と『幼児虐待』の違い

*階級

:19世紀


「その(反奴隷運動の)中に子供の労働時間についての激しい主張が含まれていたため、概念的には子供と奴隷制度は結びつけられていた。」
「どの支援運動であろうと、熱心に活動していたのは、同じ社会階級に属する、多くの場合は同じ人物だった。」
「それは労働者階級や犯罪者階級、そして革命への恐怖だったのである。」


:現代

「幼児虐待は多かれ少なかれ、あらゆる社会階級の中で一定の割合で発生すると予想された。」
「現代の幼児虐待運動の背後にある強い力は、アメリカの家庭の崩壊に対する恐怖、つまり内的な恐怖であり、屈折した貧者の恐怖ではないのである。」


*悪

:19世紀

「子供への残酷な行為は多くの残酷な行為の一つに過ぎず、それが特に悪いこととされる根拠としては、無垢な子供が苦しみ、そうした子供が大人になってから犯罪者階級に入り、国家に対する危険分子になるという理由くらいしかなかった。」


:現代
「現代の幼児虐待は究極の悪である。」

*性

:19世紀

「ヴィクトリア朝の時代でも、幼児や未成年者に対する性的虐待はそう珍しいことではなく、多くの事件が法廷に持ち込まれている。しかし、こうした悪事が、子供に対する残酷な行為と結びつけて考えられたことはなかった。(アト注:単なる性的不品行と捉えられていた)


:現代

「一九六一年、被虐待児症候群がアメリカ医学界で発表されたとき(中略)行動主義的なフェミニストたちは、すぐに性的虐待を強調した。」
「家庭内の性的虐待が幼児虐待の本質とみなされるにつれ、虐待は言外に近親姦の意味を持つようになった。近親姦は非常に多くの社会で、特異な恐怖の感情をもたらす。」


*医学化

:19世紀

「子供への残酷な行為が、ヴィクトリア朝時代の医学的、心理学的、さらには社会統計学的な研究の中に真剣に組み込まれた形跡はない。」
「娘を叩いたり強姦したりするような男は獣と呼ばれることはあっても、そうした類の者を助け、治療し、世話してくれる専門家はいなかった。」
「(放置や虐待をする)母親が、社会から切り離されねばならないとしたら、それは彼女が子供を傷付けたからであって、『幼児虐待をする者』として分類されたからではなかった。」


:現代

「一九六〇年代初頭、医者は、子供への虐待や放置を政治的な論題にした。虐待者は病んでいると宣言したのだ。
「この観点からすると、『幼児虐待をする者』や『虐待を受ける子供』といった種類の人間が存在することになり、科学的知識の対象となり得る。」
「最近の多重人格は“知識の対象としての“幼児虐待の上に立脚している。」

3.運動(3)

”運動”の勃興と展開 
「先に私は、ある運動が成功するには、偶然と必然と制度が必要であると述べた。アリソンとエレンベルガーとウイルパーは、夜空にまったく偶然に現れた流れ星だった。」
「一九六〇年代の終わりになると、幼児虐待がアメリカの政治的・社会的論議の重要な題材として成熟し、まもなく急進的フェミニズムの中心的な論題になっていった。それと同時に、制度が、一握りの孤立した活動家の手から多重人格を受け継ぐことになる。」

年表
1975 オハイオ州アセンズで多重人格に関するシンポジウム開催
1979 アリソン『多重人格の覚え書き』配布。
1980 DSMⅢ発行。(初の公式化)
1982 『タイム』誌が特集を組み、多重人格の社会現象化を予言。
1983 「多重人格及び解離研究国際協会」創設。第一回年次総会。
1987 DSMⅢ-R発行。(認定基準の緩和)
1988 『解離 解離性障害における進展』発刊。(初の本格的学術誌)


多重人格運動の現代的課題

・健康保険
「精神医学的障害は二つのタイプに分かれる。その時代に手に入る医薬品がタイプと、そうでないタイプである。医薬品がどれほど高価だとしても、長期間にわたる心理療法よりは安いため、保険業者は医薬品による治療の方を好む。」
「そう遠くない将来、解離性同一性障害に対して、さまざまな薬品が使われることもあるかもしれないが、特効薬の存在を信じる人などいないだろう。したがって、薬品を使わない解離性障害への治療への保険適用範囲をできるだけ拡大することが、多重人格の医学部門の、最重要課題になるだろう。」

・大衆化と専門性
「スピーゲルはこの障害の名称を変えようと苦闘し、クラフトは多重人格のサブカルチャー化を激しく批判した。」

「パットナムは多重人格運動の大衆主義的基盤について、『北米のMPD文献に質的な散らばりがあるということは、この症候群に向けられたセラピストの視点にばらつきがあることを反映している』と、深刻な懸念を表明した。」
「彼はセラピストの訓練方法にも不安を覚えた。そうした訓練の多くは、金を払えば誰でも資格を取れるような安易なやり方をしていた。」

「この(運動の)最終的な所有者は誰か?訓練期間で何年も経験を積み、高度な資質を身につけた臨床家か?それとも、多重人格者たちの文化を歓迎し、交代人格の開拓に精を出す患者とセラピストたちの大衆主義的な同盟か?運動は完璧に分裂する可能性が出て来た。」
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