多重人格ノート

多重人格(解離性同一性障害)に関する読書録

「真理への意志」

・・・・”13.トラウマ”の補足。
フロイトとジャネ、二人の理論家/治療者の”知”のタイプの違い。


フロイト

「フロイトが唱えたヒステリーや、不安神経症や、神経衰弱の病因とは、これらのタイプの病気の間にはっきりした区別を描き出し、それぞれに対して特定の原因を提供することを意図したものだった。彼の病因論は非常に優れたものではあるが、何も見えない暗闇へ飛び込むような無謀な部分を含んでいる。」
(恐怖症の原因は)『性生活の異常にある。関連する性的機能の虐待の形態を特定することすら可能である』と、彼は言う。」


(幼児虐待の現実を軽視したとフロイトを批判した)マスンの説が見落としているのは、理論家であり、科学者であり、あらゆるものに適用可能な壮大な統一理論を欲したフロイトの姿なのである。そのような意図を持っていたフロイトは、彼が住む社会で発生した性的虐待には興味がなかった。(中略)彼が関心を持ったのは、<真理>と、その随伴者である<因果論>であり、単なる真相だとか、幼児そのものではなかったのである。」


「(フロイトは)多くの熱心な理論家同様、もしかしたら、自分の理論に好都合な証拠を捏造したこともあったかもしれない。フロイトは、<真理>、それも事物の深層に存在する<真理>に、価値を見いだし、これに情熱的な献身を捧げた。(中略)激しく感じられていた目的は、いかなる手段をとっても<真理>に到達する、ということだった。」



ジャネ

「ジャネには、そうした<真理への意志>はなかった。彼は高潔な(正直な/率直な)人間で、(中略)膨張した<真理>観を持っていなかった。」


「彼は、トラウマは実際には起こらなかったと患者に信じ込ませ、それによって、トラウマが引き起こした神経症を治療した。可能な限り、彼は暗示と催眠術を用いてこれを行っていた。」
「ジャネは患者に嘘をつき、その嘘を信じ込ませることで患者を治療した。」
「ジャネにとって、<抽象的真理>は重要ではなく、また患者が自分についての真実を知ることも重要ではなかった。彼は医者であり、何よりも優れた癒し手(ヒーラー)だった。」



フロイトとジャネ

「フロイトはジャネとはまさに対極にあった。フロイトの患者は、真実と向き合わねばならなかった....フロイト自身と同じく。」


「当時の状態を考えてみると、理論に忠実であろうとするあまり、再三再四、フロイトが自分自身を偽っていたのは間違いない。(中略)フロイトは、患者たちに自分についての(中略)あまりに奇怪なために、非常に熱心な理論家以外はとても提案できないような事柄を、信じ込ませていた」


「ジャネは患者をだましたが、フロイトは自分自身をだまして(現実から目を背けて)いたのだ。」



ハッキング(著者)

「患者が自己認識を持つことは、重要なのだろうか?ジャネにならって患者に催眠術をかけて自己を欺かせてはどうだろうか?」


「自己認識自体は重要だと私は考えているが、それと同時に発生する問題は複雑である。私自身の見解については、本書の最終章で述べることにしよう。」

13.トラウマ

・・・・「心的外傷」という意味での“トラウマ”概念

起源

「かつて『トラウマ』とは外科医が使う単語で、身体への外傷、それもほとんど戦争の負傷について使われていた。」


「トラウマが身体に関わる言葉から心に関わる言葉へと飛躍したのは、ちょうど一世紀前、まさに多重人格がフランスに現れ(中略)た時代の話なのである。」
「フロイトが一八三九年から一八九七年まで主張していた理論の中で、トラウマは既に心理化されていた。トラウマとは誘惑であり、肉体的な傷跡や外傷は残さないものの、その結果が完全に心理的なものになる出来事だった。」


「心理的トラウマという観念はフロイトの独創ではない。脳の損傷という話から、ヒステリー症状の原因であり失われた記憶を取り戻すことによって救われる。心理的トラウマという観念に通じる、一本の観念の連鎖を見出すことはごく簡単である。」


1.脳の負傷は、健忘や麻痺などの障害を引き起こす。(事実)
2.しかし頭へのショックは、肉体的トラウマがなくても健忘を発生させ得る。(事実)
3.肉体的トラウマが存在しないのであるから、2の場合の”原因”は最終的には肉体的ショックそのものではなくてそれによる
『ショックの観念』『ショックの記憶』と考えられる。(推論)
4.ヒステリーはしばしば健忘を伴う。(事実)
5.
『ショックの観念』『ショックの記憶』が健忘の原因となり得るのなら、それはまたヒステリー性健忘の原因ともなり得るはずである。(推論)
6.言いかえれば(ショックの)『観念』や『記憶』はヒステリーを発生させ得る。(論理的帰結)
7.肉体的ショックが健忘を発生させたとき、患者が肉体的ショックのことを覚えていないことはよくあることだ。(事実)
8.同様にヒステリー患者は、ヒステリーを生み出した心理的ショックのことを覚えていないのかもしれない。(類推)
9.そうであるなら心理的ショックについての失われた記憶を回復させれば、症状は消滅するはずである。(論理的帰結)



例証

鉄道脊髄症(19世紀、鉄道の普及によって広まった鉄道事故の後遺症)

「しかし、何か別のことが起きていた。事故の直後、無傷のまま歩いて帰れたものの、数日後になって、背中にひどい痛みを感じるようになったという不平をもらす乗客が現れた。」
「鉄道脊髄症の被害者には外傷、すなわち、はっきりしたトラウマはなかった。この点に関して、彼らはヒステリー患者(が示す身体的障害)に似ていた。」


『麻痺、痙攣、その他感覚異常といった(中略)障害は、(中略)観念と感情の両方が(鉄道事故による心理的ショックで)病的状態にあることが原因かもしれない』(ラッセル・レイノルズ)


戦争神経症

「戦闘の結果として発生した心的外傷後ストレス障害は、命名自体は新しいが、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、二千年以上前にその障害らしきものを史書に書き残している。」


「イギリスのシェル・ショックと、ドイツの外傷神経症は、一九一四年から一九一八年まで続いた第一次大戦で大量に発生したが、もちろん、こうした影響は、昔からよく知られていたのである。」


「フランスの統計学者たちは、一八七〇年から一八七一年の普仏戦争の心理的影響に関する報告を用意した。一八七四年に出されたリュニエの『戦争痴呆症の精神病発現への影響に関して』では、何らかの戦争中の出来事が原因で長期間の苦悩を経験した三八六人の民間人が紹介されている。」
「戦争痴呆症の内容には、たいていの場合、被害者が恐怖におびえるか、自分を恐れさせることをやってはいるものの、字義通りの肉体的被害は含まれていない。」



意味

「長い間、存在論に支配されていた魂の霊的苦悩とは、誘惑に負けたわれわれ自身の罪の結果ではなく、外部からわれわれを実際に誘惑した他人によって引き起こされた、隠された心理的苦痛であると見なされるようになった」
「トラウマ(の心理化)は、この大変革の回転軸の役目を果たしたのである。」

(アト)
かなり強引にまとめてみると、
(1)19世紀の鉄道事故の研究に端を発して、外的ショック体験が健忘や麻痺などの原因不明の後遺症・身体障害を引き起こすことに注目が集まった。
(2)それらの症状の直接の原因は、外的ショックそのものではなくてそれに伴う内的・心理的ショックの方だと考えられる。
(3)(2)のような心理化された外傷としての「トラウマ」という概念が誕生。
(4)”原因不明の健忘及び身体症状”という類似から、神経症・精神障害としての「ヒステリー」も同様に考えられる。
(5)(器質性や心因性でなく)外的現実的ショック体験を契機として、ヒステリーを筆頭とする精神障害が起こり得るという認識が精神医学の世界で共有されて行った。
(6)その場合の”原因”もまた「トラウマ=心的外傷」であり、今日ではほぼこの意味でのみ用いられる。

・・・・なおフロイトは冒頭の「誘惑→トラウマ→神経症」という道筋(いわゆる”誘惑理論”)を最終的には放棄しているが、それは逆に「トラウマ」概念の完全な確立によるものである。つまりいかにある体験が苦痛として心理化されるのかが問題であるのだから、元の体験自体は(例えば)”誘惑”のような直接的にショッキングなものである必要はなく、極端に言えば患者の思い違いでも記憶違いでも何でもいいわけである。

12.最初の多重人格(2)

・・・・“金属療法”とルイ・ヴィーヴ


”金属療法”(メタロセラピー)

「これは、身体の適切な部位に磁石や様々な金属を当てると、ヒステリーによる無感覚や拘縮(筋肉の痙攣による手足の持続的収縮)や麻痺が除去される、というものである。」
ブーリュビュロ(前出)は、この方法をさらに進めた。彼らは、さまざまな液体を小さなフラスコに入れた上で、それを紙に包んだ。(中略)彼らは、患者の頭の後ろのところで、その薬剤等を含む物体を保持していた。しばらくすると、患者はまるでそれを実際に飲み込んだかのように、気分が悪くなったり、逆に気分がよくなったりした。」


「この話が重要なのは、ヴィーヴの持っていた多くの状態が、磁石や金属や臭化金のような金属化合物によって誘発されたからであり、また、ヴィ?ヴが、離れたところにある多くの金属や薬物に反応を示す代表例として使われたからなのだ。」
「私(ハッキング)の意見では、科学と医学という観点から見る限り、ブーリュとビュロの研究はくだらない代物である。それらも関わらずこの研究が重要なのは、(中略)『特定の人格と特定の記憶の間のつながりが認められた』研究だからなのである。」


ブーリュとビュロによるルイ・ヴィーヴの実験

「彼らは精力的に実験して、異常な結果を得た。ある物質を接触させることが、身体の新しい部分の新たな麻痺及び(または)無感覚を生み出すのだ。」


「一つの実験目標は、対麻痺、すなわち、クサリヘビを見た後の刑務所農場におけるヴィ?ヴの状態だった。これは首筋に磁石を当てることで再現された。」
「磁石が首筋に当てられたとき、彼は対麻痺になっただけでなく、クサリヘビのことも思い出したのだ。」


「さまざまな物質が、他のヒステリー性身体症状を生み出していた。(中略)いろいろな金属化合物はそれぞれ、別個の身体症状と、人生の別個の部分についての記憶を持つ人格を持った、新しい状態を生み出した。」
「一八八五年の最初の論文で、第一状態から第八状態までの状態のことを述べた。一八八八年の本では、完全に発達した状態の数をに減らし、それに非常に多くの断片的な状態が加わっているとした。」


「移行は普通、誘発がなされた後、深呼吸と痙攣やひきつけを契機に始まる。」
「第六(または第八)状態は他の状態とはどこか違っていたことは言っておかねばならない。この状態は、数時間に及ぶ興奮やひきつけや幻覚で始まった。(中略)その結果現れる人格は、対麻痺のこと以外は、ヴィ?ヴの人生の出来事をすべて記憶していた。」注・ISHを連想させる。


実験の意義・意味

「私(ハッキング)が言いたいのは、ヴィ?ヴ乃担当医たちが、多重人格という観念に対し、概念空間を創造したという点なのである。」
「ブーリュとビュロは、人格を識別するための見事な方法を用意した。」


「私の見方では、ヴィ?ヴは、人格状態と身体症状が一致するような訓練を、事実上、受けていたのである。」
「最初の段階では、対麻痺と従順な第二状態の出現は、自然発生的なものだった。彼は、そのことで報酬を与えられた。(中略)彼らの期待に添い、更なる褒美を期待するためには麻痺を移動させ、それに合わせて人生の異なる部分の経験を再現し、(中略)自然発生的に起きていた状態のまねをする以上によいことなどあるだろうか?」


(アト注)
どうもこれだけ読むとまるで全体が大きな詐欺であるように感じてしまうかもしれないが、そういうことではない。
「適応の道具」という人格の基本的な機能から見る限り、どのみちそれぞれの人格は特定の契機によって”誘発”されるものである。そういう意味では今日の多重人格者が様々な状況や対人関係や内部状態という”契機”に応じて『人格』を形成・交代させるのも、ルイ・ヴィーヴが実験者の与える金属療法的刺激に対応して人格状態を変移させるのも本質的には同じことである。



記憶と人格

『以前の意識の状態を現在の状態と比較することは、過去の心的人生を、現在のそれに結びつける関係である。これが”人格の基礎”だ。自らを過去の意識と比較する意識が、本当の人格なのである。』(ブーリュとビュロ)


「ブーリュとビュロは特定の人格と特定の記憶の結びつきを明らかにした。(中略)しかし、“多重“人格の話をするときに限り、この結びつきがきわめて致命的なものになる点に注意してほしい。もし人格が二つしかないのであれば、二番目の人格は、所詮、二番目に過ぎない。しかし、もっと多くの人格があることを認めるなら、どれがどれなのかを見分ける方法が必要になる。」


(アト注)
後段は今一つ本意が不明な気がするが、要するに「”多”な状態を認めて把握するためにはともかくも一貫した症状言語や概念空間が必要なのであり、根拠に疑問はあれどブーリュとビュロはそれを提供して、精神医学(とその背景に広がる社会)の中に『多重人格』という関心領域を確立することに貢献した」ということか?

・・・・嘘から出た真。

12.最初の多重人格(1)

・・・・多重人格の症例史パート2。


”多重人格”者ルイ・ヴィーヴの発見

「では多重人格が登場したのはいつのことだろうか?一八八五年、七月二十七日の夕方近くのことである。」
「その日の午後、シャルコーの弟子で、ビセートルにあるパリ男性用精神病院に勤務していた一流の医者、ジュセール・ヴワザンは、一八八三年八月から一八八五年一月二日まで彼が治療していた、一人の患者のことを、ある会合で紹介した。」
「ヴィーヴは、はっきり区別がつく八つの人格状態を持っていた。(中略)今まさに、多重人格の言説は、ふさわしい地位を与えられたのである。一年もたたないうちに、現在使われているような『多重人格』という表現がイギリスの印刷物の中に現れ(た)


ルイ・ヴィーヴの生涯

1863年2月 パリで生まれる。母親はアルコール依存症の娼婦で、暴行や放置を繰り返す。
          幼い時から吐血や短期間の麻痺などの激しい”ヒステリー”発作。
         8歳で家出。
1871年10月 衣服の窃盗で教護院に送られる。2年後刑務所農場へ。
1877年3月 クサリヘビに怯えて気絶。その晩痙攣が起こり、両脚が完全に麻痺
→「愛嬌のある」「素朴」で「利発な」人格に変貌
1880年
 精神病院に移った2ヶ月後、50時間に及ぶ痙攣発作が起こり、回復後近い過去の記憶を喪失<。
 性格も元の粗暴で貪欲なものに逆戻りor変貌。→金と看護人の持ち物を盗んで逃亡。
 逮捕拘束再入院。その後も様々な身体症状を示す。
1881年 回復、退院。
?1883年7月 実家に戻ったのを皮切りに、発症→入退院、窃盗癖→発覚を繰り返す。
1883年8月 ビセートル精神病院に入院し、ヴワザンと出会う。無数の治療・観察を重ねる。
1885年1月 発作後看護人の金と持ち物を盗み、再び脱走。
→海軍入隊→窃盗発覚→責任能力なしと判断されて軍病院入院。ブーリュビュロによる治療。→ラ・ロシェルの病院に転院。マピーユとラマディエによる暴力的治療。
1887年 ラ・ロシェル退院。以後消息不明。


ルイ・ヴィーヴの”二”と”多”

”二”

「彼には、お互いについて知らない二つの人格があった。大人しい人物には対麻痺があるのに対して、凶暴な人物にはそれがない。犯罪者のタイプには刑務所農場での事件や(中略)それに続く麻痺の記憶はない。」
(二重人格の)プロトタイプと違う唯一の点は、途方もなく凶暴な人格が「正常状態」とされ、“第二様態”の方が従順で、敬虔で、ものうげであるという点である」

”多”

「しかし、従順な状態にも変種があった。例えば、毒蛇に会う前で、麻痺を知らない様子ながら、従順であるという場合もあった。」
「さらに、催眠術をかけたときに、(中略)十六歳六ケ月で、刑務所農場での生活を知っているものの、クサリヘビにはまだ会っていない『ある種の第三状態』に入ることがあった。」


(以上全てヴワザンの観察)

11.人格の二重化(2)

・・・・二重人格をめぐる当時の理論的状況。


”二”と”多”

「熟年のころ、(人格交代の)発作が起こるのを感じると、彼女はもう一人の自分のために(中略)走り書きのメモを残し(中略)た。しかし、そうしたとき、彼女が交代する正常な状態とは、熟年の女性というよりは、十四才の少女のそれだった。」
「アザムはこれを第三の人格とは考えずに、単に正常状態の変種であると考えていた。」
「現代の臨床家なら、これが子供の交代人格ではないかと疑う者もいるだろう。」


「さらにもう一つ、極度の恐怖という第四の恐ろしい状態も存在していた。(中略)彼女は、暗闇の中や目を閉じたときに、恐ろしい幻覚を見た。
「アザムはこれを第二状態の『付属物』だと記述している。」
「現代なら、これらの発作を分裂病様エピソードと考える者もいるだろう。臨床家の中には、迫害者の交代人格が動き出したのではないかと疑う者もいるかもしれない。」


「さらに、第五の状態すらあったらしい。アザムは(中略)論文では書かなかった別の状態についても語ったらしい・・・・しかし、その状態がいうものかについては、話すのを拒んだそうだ。何か不適当なものだったのだろうか?」
「アザムのモデルは二重化についてのものだった。第三の人格を認めることはできなかった。二重化は存在したが、“多重“人格は、まだ(理論的に)存在しなかったのである。」


催眠術

「アザムは、フランスで初めて(ブレイドの)科学的催眠術を紹介したことに誇りを持っていた。」
「ブレイドの本を手に入れたアザムが、フェリーダに催眠術をかけ、自然発生的に起こっていた症状を人為的に作り出すのに、さして時間はかからなかった。」


「アザムを催眠術に導いたのは、他ならぬフェリーダだった。(中略)初めてフェリーダに会ったとき、アザムには催眠術の知識すらなかった。彼がフェリーダに催眠術の実験をする気になったのは、元々、彼女が自然発生的に解離したからだ。
「彼はフェリーダの治療を期待して、催眠術をかけ続けたのだが成功せず、最終的にはこの計画を放棄した。」


「催眠術は、多重人格者というフランスにおける新たな流行にとって主要なもので、この点が、イギリスの二重意識の場合とは異なる部分の一つである。」
「人格の二重化を起こしたすべての個人は、催眠術に強い興味を示す環境下で生きていた。だから、そうした状況下では、彼らの行動は、どうしても、催眠術をかけられた者の行動と比較されてしまう」


ヒステリー

「二重意識と、一八七五年以降のフェリーダの新しい時代の間には、さらに深刻な相違点がある。”二分化”のほとんどの症例は、グロテスクな身体疾患を持っていた。」
「フェリーダの時代には、こうした症状は、ヒステリーの診断と関連付けるのが標準的だった。フランスの“二分化”の症例は、すべてヒステリーとして説明された。」
「ヒステリーと“二分化”の結びつきが非常に強いため、単に(人格)分裂体勢を示した者も、ヒステリー症状を持つとされてしまった。」


クーザンvs実証主義 ?一つの魂vs多様な、移り行く魂

「この時代の大半において支配的だったフランス式の哲学は、ヴィクトール・クーザン(一七九二?一八六七)の影響を受けていた。それは折衷主義的なスピリチュアリズム(中略)と呼ばれたものだった。」
「霊的存在???神、魂、イデア???は実在し、客観的で人の観念から独立した、自律的なものだ、とクーザンは論じている。」


イボリット・テーヌ(一八二八~一八九三)は実証主義者で、科学的な世界観を唱えていた。(中略)彼は、折衷主義的なスピリチュアリズムの信者たちが主張した、自律的で、それ自体、独立的な自己や魂という考え方に反対した。言い換えれば、『多様でつかのまの存在であるような、私の感覚や記憶やイメージや観念や知覚や概念とは区別される、独特で、持続性を保ち、常に同一の“自我“』に反対したのである。」
「だから、一八七六年に、二重化された人格の問題が大きく取り上げられるようになると、彼は喜んだ。(中略)こうした症例においては、一つの肉体の中に交代する二つの自我が存在しているのであり、その二つの自我は(テーヌの考えでは)それぞれが独自の意識と記憶の連鎖で定義されているからである。ここには超越的な魂も、本体的な自我も存在しない。」


(アト注)
今日の視点では、当然ながらこの「論争」の構図は素朴過ぎるきらいがある。
つまりことはそもそもの単一性/不変性(クーザン)をどのように定義するか、及び発見された(二重の)『人格』をどの程度『魂』や『自我』と同一視するかにかかっているのであり、そういう意味では”科学的”なテーヌ(及び実証主義)の論じ方も少々迂闊過ぎるかまたは「後出しジャンケン」じみたところがある。
具体的にはむしろいわゆる多重人格的な『人格』の一つ一つの価値を余り重大に考えないという方向で、ある意味ではそれらを包摂/一貫する単一性という感覚も十分に現代でも健在である。少なくとも決着はついていない。

11.人格の二重化(1)

・・・・多重人格の症例史パート1。


二重人格者”フェリーダ・X”

「ウジェーヌ・アザムが、古典的なフランスの二重人格者フェリーダ・Xについて初めて語ったのは、『一八七五年の春の、記憶の“奇怪さ”についての会話』の中でのことだった。」


「アザムはフェリーダの障害を表すのに、考え得るほぼすべての名称を試していた。彼女についての論文のタイトルだけ拾っても、次のようになる。
『異常神経症、人生の二重化』(1876年1月14日)
  『周期的健忘、または人生の二分化』(同5月6日)
  『周期的健忘、または人生の二重化』(同5月20日)
  『二重意識』(同8月23日)
  『人格の二分化』(同9月6日)
一八七九年三月八日になると、“二重人格“なる名称も現れる。」
「なお、この表現で二重化されるのが、もはや、意識という受動的なものではない点に注意して欲しい。二重化されるのは、”人生”や“人格”といった、人間の魂の能動的な部分なのである。」


”フェリーダ・X”の症状

「一八四三年生まれの彼女は、幼いころから裁縫の仕事をしていた。家庭は貧しく、船員の父親は溺死した。」
「アザムが十五歳の彼女に会ったとき、彼女は正常な状態の時は知的で、悲しげで、むっつりしていた。」
「正常な状態のとき、彼女は洗練さには欠けていた。」


「彼女は、極度のヒステリーだった。」
「彼女の身体の多くの部位は無感覚になっていた。彼女の視野は狭まっていた。ほとんど無感情になった後、彼女は痙攣を起こしたが、完全に意識を失うわけではなかった。」


「(承前)次に彼女は、目覚めたような様子を見せると、”第二状態”に入った。これが数時間続くと、彼女はまたも短いトランスを起こし、元の状態に戻った。」
「これは五日から六日に一度起きた。」
「彼女が正常な状態になって目覚めると、彼女はこれまでの出来事についても、第二状態のときに覚えたことも、何一つ記憶がなかった。」


第二状態のときには、彼女は身の回りの人々に挨拶し、微笑み、陽気さを振りまいた。」
「彼女には恋人がいた。彼女は第二状態のときに妊娠したのだが、この状態のときには妊娠したことを喜んでいた。しかし第一状態のときには、不作法な隣人がそのことを言い立てるまで、妊娠自体を否定した。」(結局出産→結婚)


”フェリーダ・X”の後半生

「一八七五年までには、彼女は三ヶ月ほどの時間を第二状態、つまり元気な状態で過ごすのが普通になっていて、徐々に、この状態が彼女の正常な状態に変わりつつあった。」
「年を取るにつれて、そうした元の状態はほぼ姿を消していたのかもしれないが、それもまた耐えきれないものとなった。その状態(第一状態)に入ったとき、彼女は絶望に陥った。そうした状態(第二状態)にいたときの数ヶ月間に何がおきたのかまったく分からないため、人に会うのを避けていた。」


「不幸にも、次第に支配的になっていたいわゆる第二状態は、もはや、陽気な状態ではなくなっていた。彼女はむっつりとして、さまざまな(ヒステリー風の)身体症状を持つようになった。」
「またあるときには、自分の夫に愛人がいて、それは彼女が第一状態のときに親しくしている女性であると、彼女は確信するようになった。」
「彼女は第二状態のときに首を吊ろうとしたが、失敗した。彼女は助けられ、第二状態のまま目覚めた。」

京極夏彦の多重人格理解

姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス)
京極 夏彦
講談社
1994-08-31



『人格』の定義
「人格とは何なのか、明確に定義できる人はいません。それはたとえ個人の中でも、昨日と今日、朝と夕では微妙に、いやときには大きく違っている。」
「ただそれは如何なるときも矛盾なく連続しているように感じられるから、結局ひとつの人格であると認識されているに過ぎない。」
「一人の人間に人格がひとつであるというのは、脳のまやかしです。つまり連続した意識と秩序だった記憶の再生こそが(”ひとつ”の)人格を形成する条件な訳だ。」
(アト注)
僕流に言うと、
・「人格」は誰でももともと多重である。
・だから”病気”としての多重人格の本質は、「人格」が多重化することではなくて、それら多重な人格を繋げていた「意識」と「記憶」が連続性を失って多重化するということにある。
といった感じでしょうか。
結構近い認識を持っているようです。いずれ、より詳しく。


『多重人格』のメカニズム(の一例)
「脳のどの部分が現在意識を生み出しているのかが重要な鍵になる。」

「通常我々は脳のいろいろな部分とアクセスして社会生活を送っている。しかしこの回路のどこかが接続不良を起こすことがある。」
「普段使われている脳より一段低い脳としか繋がらなくなってしまったらどうなるか。(中略)
人間としての細やかな情緒や感情が解らなくなる。酷いときには言葉すら失う。動物の本能だけで行動したりする。これが俗にいう<獣憑き>の状態です。」
「普段使っているより一段高い脳、普段は使われない脳が機能してしまう場合もある。これが<神憑り>だ。普段再生されることのない記憶や一般の常識を遥かに越えた感情が発露する。(中略)神の声を聞き、託宣を語る。」

「ここで注意が必要なのは、<上位の人格は下位の人格を含む>ということだ。つまり神憑り状態のときは普通の状態の記憶があるが、普通の状態では神憑りのときの記憶は一切ない。」
「逆に獣憑き状態のときに普通の状態のときの記憶はないが、普通の状態では獣憑きのときの記憶は朧げながらある。」

「(承前)ただし、その記憶は通常の自分の行動原理にそぐわないから自分の記憶とは思えないのだがね」
「(少し戻る)誰だって激怒したり酒を飲んだり、色んな理由で我を忘れることはあるだろう。しかしそれが普段の意識と連続しているうちは憑依状態とはいわない。」
(アト注)
・「上」や「下」という視点が中心になっているのは作中の問題の人物の”症状”がそういうものだからで、あまりこれを一般例と考えるのは危険だと思います。
・ただ”多重性”の直接的契機として「脳の各部位との接続」という視点は結構新鮮でした。まあ多分何か元ネタはあるんでしょうが。
・なお通常はどちらかというと状況や環境、対人関係など、外部的な契機を主に考えます。それぞれに対応した/必要とされる”人格”ということで。

(以上、すべてノベルス版p.400-401より)
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